高円寺は、東京都杉並区高円寺南4丁目に位置する、曹洞宗の寺院です。山号は宿鳳山といい、長い歴史と徳川家光との深い関わりを持つ場所として知られています。
「宿鳳山高円寺」は1555年(弘治元年)に、中野成願寺三世の建室宗正によって開山された曹洞宗の寺院です。この地は江戸時代に将軍家の鷹狩り場の一つとして知られており、三代将軍徳川家光が度々訪れる場所となりました。
徳川家光が鷹狩りの際、雨宿りのためにこの寺に立ち寄ったことが縁で、高円寺は歴史の表舞台に立つようになりました。当時の住職が家光を将軍としてではなく、一般の客としてもてなしたことが家光の心を打ち、以後、鷹狩りの度にこの寺に立ち寄るようになったと言われています。
また、家光は感謝の印として、宇治から取り寄せた茶の木を自ら植え、この「お手植えの茶の木」は現在も境内に残っています。このため、高円寺は徳川家との深い繋がりを持つ寺院としても知られ、寺内の至るところに「三つ葉葵の紋」を見ることができます。
もともとこの地域は「小沢村」と呼ばれていましたが、家光の命により寺の名前から「高円寺村」に改称されました。これが、現在の「高円寺」という地名の由来となっています。
かつてこの地域には桃の木が多く植えられていたため、寺の周辺は「桃園」と呼ばれていました。本尊である観音菩薩像は「桃園観音」と呼ばれ、寺は「桃堂」、寺の前を流れていた川は「桃園川」と名付けられていました。
しかし、寛保2年(1742年)、弘化4年(1847年)、明治33年(1900年)、そして昭和20年(1945年)に至るまで、寺は4度の火災に見舞われ、多くの堂舎や古記録が失われてしまいました。現在の本堂は、昭和28年(1953年)に宮大工の中村青雲によって再建されたものです。
高円寺の本尊は観音菩薩像であり、彫刻家三木宗策によって制作された聖観世音菩薩立像が安置されています。また、室町時代の作と伝えられる阿弥陀如来坐像も祀られており、歴史的な価値を持つ寺院です。
境内には「開運子育地蔵堂」があり、多くの参拝者が訪れます。この地蔵堂は、子供の成長や開運を祈願する場所として広く信仰を集めています。
稲荷社もまた、見どころの一つです。この稲荷社の門柱には、龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」が立っています。双龍鳥居は、この高円寺だけでなく、約1キロメートル離れた馬橋稲荷神社や、品川区にある品川神社にも見られます。
これらの鳥居は、東京三鳥居の一つとしても知られており、特に品川神社の双龍鳥居は美しい造りで、多くの観光客や信者が訪れる名所です。
高円寺は、徳川家との深い繋がりを持つ寺院であり、三代将軍徳川家光が何度も訪れた場所として、歴史に名を刻んでいます。また、寺の名前が現在の「高円寺」という地名の由来となり、その名は駅名にも採用されています。
火災によって何度も被害を受けてきたものの、現在の高円寺は昭和29年(1954年)に再建され、今もなおその歴史と風格を保ち続けています。徳川家の影響や歴史的な背景を持つこの寺は、東京の文化や歴史を感じさせる貴重な場所となっています。