光明院は、東京都杉並区上荻二丁目に位置する真言宗豊山派の寺院です。奈良時代以前に創建されたと伝わり、杉並区内でも屈指の古刹として知られています。正式名称は「慈雲山荻寺光明院」であり、荻窪という地名の由来ともなった寺院です。
言い伝えによれば、奈良時代以前の和銅元年(708年)に、名僧・行基が作った仏像を背負って遊行していた僧がこの地を通りかかりました。その際、突然仏像が重くなり、運べなくなったため、僧は荻で草堂を作り、その仏像を安置しました。これが光明院の始まりとされています。当寺院はその後「荻寺」と呼ばれ、これが荻窪の地名のルーツとなりました。また、寺院付近の地名「四面道」や「堂前」も、光明院に由来すると言われています。
光明院の本尊である千手観音像は南北朝時代に作られたとされ、「荻窪の観音様」として地域の人々から厚く信仰されてきました。境内からは、同時代に作られたと見られる碑も発見されており、南北朝時代にはすでに寺院の基礎が固まっていたことがうかがえます。
光明院の本堂は天保11年(1840年)に火災に遭い、嘉永3年(1850年)に再建されました。しかし、甲武鉄道(現在の中央線快速)の建設に伴い、1888年(明治21年)に本堂は北側に移設され、さらに1969年(昭和44年)には現在の場所に移築されました。
現在の本堂は、天保11年の火災から10年後に再建されたもので、明治21年に甲武鉄道建設のため北へ移動し、その後昭和44年に現在の場所へ移築されました。本尊は推定南北朝時代作の千手観音座像で、地域の人々から「出逢い観音」として親しまれています。
光明院の大斎場で、最大150名を収容できる施設です。葬儀やイベントなど、さまざまな形態の利用が可能です。
24名以下での中規模の葬儀に適した斎場で、段差のないバリアフリー設計が特徴です。
最大8名まで利用可能な家族葬など小規模な葬儀に適した斎場です。
宗派を問わず、無宗教の方も利用できる納骨施設です。夫婦墓や家族墓など、多様な区画が用意されています。
閻魔大王を祀る堂で、本堂へ登る参拝者を見守っています。閻魔様は冥界の大王で、死者の生前の悪行を裁く存在とされています。
小張吉兵衛が建立した阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩の4体の石仏です。吉兵衛は両親と妻を失った悲しみを癒すためにこれらを建てたと言われ、当初は普通の表情をしていましたが、次第に悲しみの表情に変わり、最後には泣きべそをかいた顔になったと伝えられています。
光明院東門から境内に入った場所に位置する共同墓地で、どなたでもお参りが可能です。
光明院を東西に横切る自由通路で、周囲には季節の花が咲き、通行する人々を楽しませています。さらに、「荻窪」の地名の由来となった荻も自生しています。
光明院へのアクセスは、中央線快速・総武線各駅停車・丸ノ内線「荻窪駅」より徒歩3分です。また、専用駐車場も完備しています。