大宮八幡宮は、東京都杉並区大宮にある歴史ある神社で、日本の南関東地域に広く知られています。源頼義によって建立され、「多摩の大宮」とも呼ばれ、武蔵国三大宮の一つとして知られています。現在の境内は約1万4000坪と、東京都内でも広大な敷地を持っています。
特に子育てや安産にご利益があるとされ、遠方からも多数の参拝客が訪れる人気の神社となっています。また、東京のほぼ中央に位置するため、「東京のへそ」という異名もあります。
境内は善福寺川に接しており、和田堀公園のすぐ南側に位置しています。かつては「多摩乃大宮水」と称される御神水が湧き出ていましたが、現在は自然湧出が途絶えたため、ポンプで汲み上げています。
大宮八幡宮の現在の所在地は大宮遺跡とされており、東京都内で初めて方形周溝墓が発掘された場所としても有名です。このことから、神社の鎮座以前からこの地が聖地とされていたと考えられます。
前九年の役の際、源頼義は奥州に向かう途中、武蔵国で空に八条の白雲が棚引いているのを見て、これを吉兆と捉え、「八幡大神の御守護のしるしである」として、戦勝を祈り出陣しました。後に頼義は乱を鎮めた後、康平6年(1063年)にこの地に石清水八幡宮の分霊を祀り、大宮八幡宮を創建しました。
その後、貞治元年(1363年)の記録によれば、地元の阿佐ヶ谷氏が熊野権現の檀那であり、大宮八幡宮の住僧が先達を務めていたとされています。
天正19年(1591年)、徳川家康から社領30石が寄進され、大宮八幡宮は重要な神社として位置づけられました。その後、結城秀康の側室である清涼院により、社殿の再建が行われました。この時、神社の方角が南向きから江戸城守護のために東向きに変更されました。江戸時代には、敷地は60,000坪を超え、社殿や境内社も増えました。
明治時代に入ると、明治4年(1871年)の太政官布告により、境内地を除く約35,000坪が政府に収用されました。その後、1952年(昭和27年)に「大宮八幡神社」から古称の「大宮八幡宮」に戻り、1963年(昭和38年)から42年にかけては鎮座900年記念事業が行われ、本殿や結婚式場、幼稚園舎の改築が行われました。
明治5年(1872年)の近代社格制度の発足時には郷社に指定され、1943年(昭和18年)には府社に昇格。さらに1966年(昭和41年)には別表神社に指定され今でも多くの参拝客が訪れています。
大宮八幡宮には、以下の三神が祀られています:
これらの神々は、八幡三神と呼ばれ、特に品陀和気命は八幡神として知られています。
大宮八幡宮では、年間を通じて様々な祭礼や行事が行われています。特に重要な祭礼には以下のものがあります:
特に、わかば祭りや七五三祝祭は、多くの参拝客が訪れ、賑わいを見せる行事です。
大宮八幡宮の境内は、約1万4000坪という広大な敷地を誇ります。東京23区内の神社の中では、明治神宮(約21万1750坪)、靖国神社(約2万8000坪)に次いで3番目の広さを持っています。この広大な空間には、多くの自然と歴史的な建造物が点在し、神聖な雰囲気に包まれています。特に、参道や茶室、末社などの各施設が、それぞれの歴史と文化を感じさせます。
境内には、弓道場「振武殿」があります。ここでは、5名の弓射が同時に行える広さがあり、都内でも有数の弓道場です。振武会が中心となって、春秋には射会が奉納され、地元の弓道愛好者たちが日々稽古に励んでいます。また、小笠原流の大宮支教場としても機能しており、伝統的な弓道の技術が継承されています。
大宮八幡宮の境内には、竹林の中に「神泉亭」と「通仙庵」という2つの茶室があります。これらの茶室は、訪れる人々に静かなひとときを提供し、茶道の文化に触れる場として親しまれています。周囲の竹林の静けさが、日常の喧騒を忘れさせ、心を落ち着ける空間となっています。
境内の神門の両脇には「夫婦銀杏」と呼ばれる大きな銀杏の木があります。これらの木は、夫婦和合の象徴とされており、特に11月になると鮮やかな黄色に色づき、七五三参りで訪れる家族の目を楽しませます。男銀杏は高さ約26メートルにも達し、その雄大な姿は訪れる人々を圧倒します。
参道には「鞍掛けの松」と呼ばれる大きな松の木がそびえ立っています。これは、源義家が後三年の役から帰還する際に植えたと伝えられる松の二代目です。この松は、武士たちの守護神としての役割も果たし、現在でもその歴史的な価値を保ち続けています。松の幹にはしめ縄が巻かれ、根元には「八幡太郎義家公」と書かれたのぼりが立てられています。
大宮八幡宮の境内には、「大宮八幡社叢」と呼ばれる自然の森が広がっています。この社叢は東京都の天然記念物に指定されており、東京の市街地化が進む中でも、昔ながらの武蔵野の風景を残しています。社叢には巨木や老木が点在しており、樹齢350年を超える菩提樹や夫婦銀杏が見られます。また、この森には黒樫や薬草など、豊かな植物が自生しており、自然の神聖さを感じることができます。
境内には、徳川家康の子・結城秀康の側室である清涼院によって手植えされたと伝えられる菩提樹があります。この菩提樹は、樹齢350年を超え、今も力強く生き続けています。6月中旬には淡い黄色の小さな花を咲かせ、その香りが境内を優雅に包みます。この花が散ると、地面は一面が黄色い絨毯のようになり、参拝者の目を楽しませます。
大宮八幡宮は、源頼義によって創建されましたが、その子である八幡太郎義家も、後三年の役の後に当宮の社殿を修築し、境内に1,000本の若松の苗を植えたと伝えられています。享保年間には新井白石も「大宮の松の如くに長大に見事なるもの」と感嘆したとされています。現在はその松は枯れてしまいましたが、二代目の松がその跡地に植えられています。
「共生の木」は、かやの木に犬桜が寄生している特別な木で、2つの異なる木が1本の幹で助け合いながら共生しています。この姿は、国際協調や夫婦和合など、共生の象徴として神聖視されています。
境内の南側には御神輿庫があり、32基もの御神輿が保管されています。祭りの際には、これらの御神輿が地域を巡行し、氏子たちの掛け声とともに賑やかに行進します。特に、氏子区域の各御神輿が集まり、合同で宮入りする様子は迫力満点です。
境内には2つの主要な参道があります。表参道の第一鳥居は、昭和29年に再建され、高さ8メートルの大鳥居が参拝者を迎えます。この鳥居をくぐると、約250メートルにわたって石畳の参道が続き、春には桜が満開となり、参拝者の目を楽しませます。南参道は昭和58年の整備により、日本初のステンレス製の鳥居が設置され、近代的な佇まいを見せています。
境内には、力石石庭があり、これらの石はかつて近隣の村の若者たちが力自慢を競い合うために使用されました。最大の石は187kgもあり、当時の若者たちの力を物語っています。この力石は、現在も参拝者に向けて展示されています。
大宮八幡宮には、昔ながらの竹林が残されています。この竹林は、茅の輪くぐりや七夕の竹、十五夜の神遊びなど、さまざまな神事に使用されています。竹林の中に佇む茶室や参道は、訪れる人々に静寂と安らぎを与えます。
表参道の両脇にはたくさんのつつじが植えられており、満開時には境内が鮮やかな紅色に染まります。このつつじは、江戸幕府第3代将軍徳川家光が1,000本の山つつじを植えたことに由来しています。現在でも、毎年5月には「わかば祭り」として、つつじが咲き誇る中で様々な行事が行われます。
大宮八幡宮には、杉並区指定の文化財である随身像が保存されています。この像は江戸時代に制作されたもので、非常に貴重なものです。神社関係の彫刻としては全国的にも珍しく、その美術的価値は非常に高いとされています。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原攻めの際に発した禁制札が大宮八幡宮に保存されています。この禁制札は、境内での殺生や木の伐採を禁止する内容であり、戦国時代の重要な資料とされています。
大宮八幡宮は、京王井の頭線西永福駅から徒歩7分でアクセス可能です。また、永福町駅からも徒歩圏内で、路線バスを利用する場合は「大宮八幡前」バス停が最寄りです。