高尾登山電鉄のケーブルカーは、一般には「高尾登山ケーブル」や「高尾山ケーブルカー」として知られています。『鉄道要覧』には「高尾鋼索線」と記載されていますが、この名称は案内上では使用されていません。
山頂側の高尾山駅手前には608‰(31度18分)という急勾配があり、鉄道事業法準拠の日本の鉄道では最も急な勾配です。
ケーブルカーは通常15分間隔で運行しており、所要時間は約6分です。通常の運行時間は8時00分から17時15分 - 18時30分ですが、夏季の「高尾山ビアマウント」開催時は21時15分まで延長運転します。また、初詣や新緑・紅葉の時期には7分30秒間隔で運行することがあります。
高尾登山電鉄株式会社(たかおとざんでんてつ)は、東京都八王子市の高尾山でケーブルカーとリフトを運営している鉄道会社です。本社所在地は東京都八王子市高尾町2205番地にあり、京王グループの一員です。
高尾登山電鉄は、京王電鉄の非連結子会社(持分法適用会社)であり、もともとは武蔵野不動産が筆頭株主で京王電鉄も出資していましたが、2017年より京王グループに属することとなりました。
高尾登山電鉄の主要な事業所は以下のとおりです:
展望台食堂では季節に応じた営業形態があり、夏季には「高尾山ビアマウント」、春・秋・冬季には「キッチンむささび」として営業しています。
高尾山のケーブルカーは、高尾山薬王院の27世貫首・武藤範秀の発案によるものでした。当時、高尾山薬王院の信徒は30万人とされ、参拝には中央本線浅川駅(現在の高尾駅)から山麓まで歩き、険しい山道を登る必要がありました。
この状況を改善するために、武藤は高尾山への交通機関の必要性を訴え、元浅川村長・高城正次らとともにケーブルカーの敷設免許を申請しました。1921年8月にケーブルカー事業の免許が下付され、同年9月に高尾索道株式会社が設立されました。
しかし、開業までにはさまざまな困難がありました。高尾山は官有林であり、宮内省帝室林野管理局の管轄にあったため、伐採や用地借用に煩雑な手続きが必要でした。また、関東大震災による被害もありましたが、1925年5月31日に社名を高尾登山鉄道に変更し、1927年1月21日にケーブルカーが開業しました。
1930年代後半には経済不況や戦争の影響で経営が困難となり、1944年2月11日より戦時体制の「企業整備令」により営業休止が決定され、施設は産業設備営団に売却されました。
終戦後、1948年に社名を高尾観光に変更し、1949年10月16日にケーブルカーの運行を再開しました。その後、1952年に社名を現在の高尾登山電鉄に変更しました。高度経済成長期には観光客の増加に伴い、施設の充実が図られ、1964年にはエコーリフトの運転を開始しました。
2008年には4代目の車両が導入され、2017年に京王グループに加わりました。これにより、高尾山の観光輸送を担う主要な事業者となりました。