金剛寺は、東京都日野市高幡に位置する真言宗智山派別格本山の寺院であり、通称「高幡不動尊」として広く知られています。本尊は大日如来で、寺の正式名称は「高幡山明王院金剛寺」です。
金剛寺の創建については、古文書によれば大宝年間(701 – 704)以前に遡るとも言われています。あるいは、大宝年間に行基菩薩が開基し、空海(弘法大師)が不動明王を祀ったとも伝えられています。しかし、寺の伝承によると、平安時代初期に円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により東関の鎮護のために高幡山の山頂にこの霊場を開いたのが始まりとされています。
江戸時代には、真言宗関東十一檀林の一つとして、多くの学僧を輩出する談義所としても知られていました。それ以来、「高幡のお不動さん」として親しまれ、毎月28日の縁日には多くの参拝者で賑わっています。また、成田山新勝寺などとともに「関東三大不動」の一つに数えられています。関東三大不動の他の1つは總願寺(不動ヶ岡不動)、大山寺(大山不動)あるいは常楽院(高山不動)とされています。
新選組副長として有名な土方歳三の菩提寺であることから、金剛寺の境内には土方歳三の銅像や、近藤勇と土方歳三の殉節両雄の碑が建てられています。土方歳三の墓がある愛宕山石田寺(あたごさんせきでんじ)は、金剛寺の末寺の一つです。毎年5月第2日曜日には、「ひの新選組まつり」が開催され、多くの歴史ファンや観光客が訪れます。
金剛寺は、都内有数のアジサイの名所としても有名であり、6月上旬には境内奥の山々に山アジサイが咲き誇ります。その他のあじさいも6月終わり頃までが見ごろで、多くの花見客が訪れます。
1982年10月1日、金剛寺は新東京百景の69番(順位ではなく番号)に選ばれ、その美しい景観が評価されました。
金剛寺には数多くの文化財が存在します。中でも、木造不動明王及び二童子像は平安時代後期の作とされ、特に重要な文化財として認定されています。また、不動堂、仁王門などの建造物も歴史的価値が高く、いずれも国の重要文化財に指定されています。
不動堂の本尊として祀られている木造不動明王及び二童子像は、重要文化財に指定されています。不動明王像は高さ約2.8メートルで、向かって右に矜羯羅童子像、左に制吒迦童子像が立っています。これらの像は、平安時代後期の作で、建武2年(1335年)に大風で倒壊した不動堂の修理が康永元年(1342年)に行われた際に、再建されたものです。現在、これらの像は奥殿に安置されており、不動堂には新たに造られた等身大の極彩色の本尊が祀られています。
不動堂は、室町時代前期(1342年)に建立された建物で、桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、茅葺形銅板葺の構造を持っています。この建物は1946年11月29日に重要文化財に指定され、1959年に解体修理が行われ、楼門として復原されました。
仁王門は、室町時代後期(1467年-1572年)に建立された三間一戸楼門で、入母屋造、茅葺形銅板葺の建物です。この門も1946年11月29日に重要文化財に指定され、1959年に解体修理が行われています。
鎌倉時代の1273年に作られた鰐口は、直径57cm、肩厚13cmのサイズを持ち、1959年6月27日に重要文化財に指定されています。
高幡不動の本尊像内には、南北朝時代の文書が69通収められています。これらの文書は、暦応2年(1339年)の常陸合戦に従軍して戦死した山内経之の菩提を弔うために納められたものであり、戦国時代の東国武士の実態を知る上で非常に貴重な資料です。この文書群は1994年6月28日に重要文化財に指定されました。
この遺告は、弘法大師空海が入定する六日前に弟子たちに与えたとされる遺言を記したもので、平安時代に書写された最古の写本です。2007年6月8日に重要文化財に指定されています。
金剛寺(高幡不動尊)は、東京都日野市高幡733に位置し、京王線「高幡不動駅」から徒歩2分、多摩都市モノレール「高幡不動駅」から徒歩5分の距離にあります。
金剛寺は、歴史的な価値と文化的な財産を持つ寺院であり、関東三大不動の一つとして広く知られています。土方歳三との縁や美しいアジサイなど、四季折々の魅力が詰まったこの寺院は、訪れる人々に深い感動を与える場所です。交通アクセスも良好で、気軽に訪れることができる点も魅力の一つです。