石田寺は、東京都日野市にある真言宗智山派の寺院です。
石田寺は東京都日野市に位置し、真言宗智山派に属する歴史ある寺院です。境内には多くの板碑が所蔵されており、地元の文化遺産としても重要な存在です。また、新選組の副長であった土方歳三の墓があることでも知られ、観光地としても人気があります。
石田寺の創建は1361年(康安元年)に遡ります。当時、武蔵国司が飢饉で亡くなった人々の菩提を弔うために仏堂を建立したのが始まりです。しかし、1377年(永和7年)には一度廃寺となってしまいました。
その後、1544年(天文13年)の多摩川の大洪水で観音菩薩像が流れ着き、その像を祀るために廃寺跡に観音堂が建てられました。そして1593年(文禄2年)、慶心によって石田寺として再興され、現在の名称が定められました。
石田寺の墓地には、新選組の副長である土方歳三の墓があり、歳三のファンや歴史愛好家が訪れるスポットとなっています。土方歳三は日野市の出身であり、周辺には土方家の墓や関連施設、資料館も点在しています。
石田寺の境内には、土方家の墓もあり、歳三を含む土方家の歴史に触れることができます。新選組に関連する史跡として、多くの観光客が訪れています。
石田寺へのアクセスは、万願寺駅より徒歩約9分です。公共交通機関を利用して訪れることができます。
土方歳三資料館(ひじかたとしぞうしりょうかん)は、東京都日野市にある私設の資料館です。新選組副長である土方歳三の生家跡に位置し、歳三の兄の子孫によって運営されています。
資料館は、土方歳三が29歳で上洛するまで過ごしていた土方家の屋敷跡にあります。1990年(平成2年)までそのままの形で遺されていましたが、建て直しの際に家の一部を公開し、1994年(平成6年)5月11日、歳三の命日に合わせて資料館として開館しました。
2005年(平成17年)には展示スペースが3倍に拡大され、新たな資料が公開されるようになりました。2012年(平成24年)には土方陽子の娘である愛(めぐみ)が2代目館長に就任し、現在も運営されています。
資料館の入り口には、かつて土方歳三が相撲の稽古で使った大黒柱が残されています。また、歳三が若い頃に植えた矢竹が庭に生い茂っています。展示物には、土方家が副業で作っていた秘薬「石田散薬」の薬箱や、新選組時代の遺品などが含まれています。
収集品の中でも特に注目されるのが、歳三の佩刀である和泉守兼定です。この刀は日野市指定の有形文化財であり、京都守護職の松平容保から授けられたものと伝えられています。刀身は、歳三の命日(5月11日)前後に期間限定で公開されます。
また、歳三の句集である『豊玉発句集』も所蔵されており、全41句が収録されています。句集の中には「しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道」といった恋句も含まれ、歳三の文学的な一面を知ることができます。
土方歳三資料館は、第1・第3日曜日に開館しています。開館時間は午後0時から午後4時までですが、平日に訪問を希望する場合は事前に相談が必要です。ただし、2022年(令和4年)10月末からは長期休館を予定しています。
入館料は大人500円、小・中学生300円です。来館には事前の予約が推奨されています。
資料館へは、多摩都市モノレール線の万願寺駅から徒歩約5分でアクセス可能です。
石田寺と土方歳三資料館は、新選組や土方歳三に興味がある方にとって必見のスポットです。歴史と文化が融合したこれらの場所を訪れ、江戸時代の風情と土方歳三の軌跡に触れてみてはいかがでしょうか。