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平河山 法恩寺

(ひらかわざん ほうおんじ)

法恩寺は、東京都墨田区に位置する日蓮宗の寺院です。山号は「平河山」、院号は「本住院」と称され、本尊には十界曼荼羅が祀られています。法恩寺は小西法縁のひとつであり、その歴史と伝統を今日まで継承してきました。

寺の創建は1458年(長禄2年)にさかのぼります。江戸城を築いた太田道灌が、城の鎮護を願って建立したもので、当初は「本住院」と呼ばれていました。寺名が「法恩寺」に改められたのは、道灌の嫡子・法恩斎の年忌にあたり、孫の太田資高が改称したことに由来します。その後、寺は複数回の移転を経て、1695年(元禄8年)に現在の地へと移転しました。

法恩寺の歴史と由緒

法恩寺の創建は、江戸時代以前の1458年、太田道灌が江戸城を築いた際にまでさかのぼります。道灌は、江戸城の守護のために祈願所として、現在の千代田区平川口に位置する武蔵国平河村に本住院を創建しました。この時、道灌は日住上人を開山とし、城の鎮護と繁栄を祈願しました。

その後、道灌の嫡子である法恩斎の年忌の際、孫の太田資高が寺号を「法恩寺」に改めました。また、寺は江戸の開府に伴い、幾度かの移転を経験しました。現在の墨田区太平に落ち着いたのは1695年のことで、この地は太田道灌の「太」の字と、山号である平河山の「平」の字をとって「太平」と名付けられたと言われています。

地域との結びつき

法恩寺は、地域社会や地元の町会との強い繋がりを持っています。隅田川川施餓鬼や七草粥、震災記念「思い出のすいとん会」、十五夜お茶会、年末の餅つき会、花見の縁など、多くの行事が地域住民との共同で行われています。これらの行事を通じて、法恩寺は壇信徒だけでなく、地域全体からの信頼と愛着を集めてきました。

前住職と現住職の歩み

前住職である鈴木貫仁は、1972年に入寺し、東京小西法縁会会長や墨田区保護司会長など、さまざまな役職を歴任しました。その後、1992年には大本山本圀寺の第78世貫首に就任し、2003年には紀州徳川家の菩提寺である本山報恩寺の第35世貫首も務めました。現住職である鈴木貫元は、副住職時代に納骨堂「妙元廟」と日蓮聖人像を建立し、2008年に父から法灯を受け継ぎ、法恩寺の第56世住職となりました。

法恩寺の見どころ

鐘楼三重塔

法恩寺の山門をくぐると、左手には昭和7年(1932年)に建立された三重塔がそびえ立っています。この塔は「経石塔」とも呼ばれ、その下部には梵鐘が吊るされています。平成22年には大改修が行われ、現在も法恩寺の象徴的な建造物として多くの参拝者を迎えています。

道灌公記念碑

山門をくぐって右手にあるのは、太田道灌を顕彰する「道灌公記念碑」です。この碑には、道灌の山吹の和歌にまつわる物語が仙台石に浮き彫りにされています。この記念碑は、道灌公が法恩寺の開基であることを偲ばせる重要な文化財です。

平川清水稲荷

法恩寺の境内には、平川清水稲荷の碑もあります。この稲荷は、太田道灌が築いた江戸城内に存在していた清流「平川」の畔に祀られていたものです。かつては、寺の旧称である本住院の側にあったとされ、その由緒が現在の法恩寺に伝わっています。

法恩寺の地域社会への貢献

法恩寺は、隅田川川施餓鬼や七草粥、震災記念行事、年末の餅つき会など、数多くの地域イベントを主催し、地域社会との繋がりを大切にしています。また、境内は美しく整備され、地域住民や観光客にとって心安らぐ場所となっています。法恩寺が長年にわたって築いてきた信頼関係は、地域における大きな支柱となっており、今後もその存在感を高めていくことでしょう。

アクセス

法恩寺は、錦糸町駅から徒歩12分の場所にあります。周辺は閑静な住宅街で、訪れる人々は寺の静寂と歴史を感じながら散策することができます。

Information

名称
平河山 法恩寺
(ひらかわざん ほうおんじ)

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