本所松坂町公園は、東京都墨田区両国に位置する区立公園です。この公園は、元禄赤穂事件で知られる「吉良邸討ち入り」の舞台となった場所であり、歴史的な背景を持つ特別な場所です。吉良義央が晩年を過ごした邸宅があった場所で、現在もその歴史を感じさせる遺構が残されています。
この公園は、一般的な児童公園とは異なり、遊具などは設置されていません。敷地面積約98平方メートル(約29.5坪)というコンパクトな空間には、吉良義央を祀る神社や稲荷明神、そして桜の木などがあり、むしろ記念広場としての性格が強い場所です。
公園内には、吉良義央の屋敷がかつて存在していたことを示す井戸や、吉良邸討ち入りに関連した展示物が設置されています。さらに、吉良義央を追悼するための石碑や、平成22年(2010年)に建立された吉良義央公座像もあります。この像は、1690年頃に吉良義央自身が作らせた座像を基にしています。
吉良義央が住んでいた屋敷は、元々鍜治橋にありましたが、元禄14年(1701年)の松の廊下の刃傷事件後に幕府の命令で現在の本所松坂町公園付近に移されました。この邸宅は広大で、約8400平方メートル(約2550坪)にも及ぶ広さがあったとされています。しかし、元禄16年(1703年)に赤穂浪士による討ち入りが行われ、その後、邸宅は江戸幕府に没収されました。
元禄赤穂事件後、この地域には住宅が建てられ、往時の吉良邸を偲ばせるものは少なくなりました。しかし、昭和9年(1934年)に地元の有志が一部の旧邸地を購入し、それを東京市に寄贈したことで、昭和10年(1935年)に現在の本所松坂町公園が開設されました。
本所松坂町は、元禄16年(1703年)の元禄大地震と、その6日後に起きた「水戸様火事」により壊滅的な被害を受けました。その後の復興時に、吉良邸跡の一部が町屋として再開発されました。これにより「本所松坂町」という町名が誕生しました。
また、吉良邸跡地の一部は「芝新堀常浚拝領地」として利用され、その後の町名変更や町屋の配置などにより、本所松坂町全体が形成されました。これらの歴史的な背景から、本所松坂町は現在もその名称を残し、地域の歴史を物語っています。
公園内には、吉良義央に関する様々な遺構が残されています。まず、吉良邸の外壁は高家の格式を表す海鼠塀と黒塗りの屋敷門が復元されており、その脇門が公園内にあります。また、吉良邸跡の向かいには「吉良邸前稲荷社」(飯澄稲荷神社)があり、地域の守護神として祀られています。
さらに、公園内には吉良義央を祀る「松坂稲荷神社」(吉良神社)もあり、義央の墓もここにあります。近年、義央に対する歴史的評価が見直されつつあり、彼を偲ぶ人々がこの公園を訪れることも増えています。
所在地:東京都墨田区両国三丁目13番9号
アクセス:JR総武線両国駅東口下車徒歩5分、都営大江戸線両国駅下車徒歩10分
開園時間:日中の時間帯
入園料:無料
毎年12月14日には、泉岳寺が主催する義士祭が開催され、公園内には多くの露店が並びます。また、犠牲者の供養や法要も行われ、普段は静かな公園が、この日には多くの人々で賑わいます。しかし、歴史をじっくりと学びたい方は、別の日にゆっくりと訪れることをお勧めします。
義士祭以外の日でも、近年再評価されつつある吉良義央に関連する展示物や史跡を見学することができ、その歴史的価値を感じることができます。