浅草神社は、東京都台東区浅草に位置し、浅草寺本堂の東隣りに佇む神社です。地元では「三社権現(さんじゃごんげん)」や「三社様(さんじゃさま)」といった通称で親しまれ、毎年5月に開催される例大祭「三社祭」が特に有名です。
浅草神社は、浅草寺の創建に関わった3人の人物を祭神として祀る神社です。神仏分離後も、その歴史と伝統を受け継ぎ、江戸時代から続く建造物が現存しています。境内には歴史的な社殿や石碑などが点在しており、歴史的価値が高い文化財としても知られています。
浅草神社の主祭神は、浅草寺の創建に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)の3人です。この三柱の神々は「三社権現」と呼ばれ、徳川家康を祀る東照宮と共に、大国主命も合祀されています。
土師真中知、檜前浜成、檜前竹成の3人は、浅草寺の創建に深く関わった人物です。彼らの霊を神として祀ることで、三社権現として信仰されています。主祭神の一人である土師真中知については、諸説ありますが、浅草神社では彼を主祭神として崇めています。
浅草神社の起源は、推古天皇36年(628年)にまで遡ります。当時、漁師であった檜前浜成と檜前竹成の兄弟が、隅田川で聖観音菩薩像を発見し、これが浅草寺の始まりとされています。その後、土師真中知が僧となり、浅草寺を創建したと伝えられています。
平安時代から鎌倉時代にかけて、土師真中知の子孫が彼らの祖先を神として祀るようになりました。明治時代に神仏分離が行われ、浅草寺とは別法人となり、「三社明神社」として再出発し、その後「浅草神社」と改称されました。
浅草神社の境内には、歴史的価値の高い建造物が数多く存在します。これらは徳川家光の寄進により、慶安2年(1649年)に完成しました。現在では、拝殿や幣殿、本殿が国の重要文化財に指定されています。
社殿の他にも、手水舎、鳥居、神木、神輿庫、神楽殿など、多くの歴史的建造物が境内に点在しています。また、夫婦狛犬や様々な石碑も見逃せません。特に「ほととぎすの碑」や「河竹黙阿弥顕彰碑」などは、歴史的な背景を知る上で興味深いものです。
浅草神社の本殿、幣殿、拝殿は、江戸時代前期に建立され、国の重要文化財に指定されています。これらの建物は、伝統的な日本建築の美しさを今に伝える貴重な文化財です。
本殿は三間社流造の形式で建てられ、銅板葺きの屋根を持ちます。幣殿と拝殿もまた、同時期に建立され、その建築様式は江戸時代の特徴を色濃く残しています。
浅草神社の氏子地域は台東区浅草を中心に広がっており、44の町会が所属しています。これらの町会は、南部、西部、東部の3つのブロックに分かれ、三社祭では各ブロックに神輿が渡御します。氏子町会は地域の伝統を受け継ぎ、神社との深い関わりを持ち続けています。
浅草神社へのアクセスは、東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の浅草駅から徒歩7分、または首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの浅草駅から徒歩10分です。浅草の観光地の中心に位置しており、多くの参拝者が訪れます。
浅草神社には、日本最古の招き猫「丸〆猫」に関する記録が残っており、歴史的に重要な存在となっています。さらに、西宮神社との関係を記念して、2020年から「浅草二十日えびす」が開催されるようになり、新たな伝統行事として定着しつつあります。