すき焼きの語源と由来
鋤(すき)で焼いたことに由来
江戸時代、肉食が禁じられていた中で、農夫たちは農具の鋤(すき)を鉄板代わりに使い、こっそり肉を焼いて食べていました。これが「鋤焼(すきやき)」と呼ばれるようになったのが語源とされています。
関東と関西の違い
関東:煮る/関西:焼く
関東風は最初から割下で煮る方法が主流ですが、関西風では、まず牛肉を焼いてから割下を加えるスタイルが一般的です。これは鋤で焼いていた古いスタイルを色濃く残した方法とも言えます。
明治以降の肉食文化の広まり
文明開化と牛鍋の誕生
675年の天武天皇による食肉禁止令以降、日本では長らく肉食が禁じられていました。しかし、明治維新後の開国とともに食文化が変化し、牛肉を提供する店が次々と登場しました。特に横浜の開港とともに、外国人の需要に応じるため牛肉の流通が始まり、「牛鍋」という料理が庶民のごちそうとして大流行しました。
すき焼きの進化と広まり
味噌から割下へ
当初の牛鍋は味噌仕立てでしたが、肉質の向上と共に、醤油・砂糖・酒を合わせた割下で煮るスタイルが主流に変化しました。関東大震災で多くの牛鍋屋が閉店する中、「すき焼き」の呼び名が関西から関東にも広がり、今日のスタイルが確立されました。
老舗店と文豪たち
伝統を守り続ける名店
東京には今もなお、明治時代から営業を続ける老舗のすき焼き店が存在します。「浅草今半」(明治28年創業)、「ちんや」(明治13年創業)、「米久」(明治19年創業)などが有名です。芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外ら多くの文豪が愛した「江知勝」(明治4年創業)は2020年に惜しまれつつ閉店しました。
すき焼きの主な材料と食べ方
一般的な具材と味付け
すき焼きには薄切りの牛肉を中心に、ネギ・春菊・焼き豆腐・しらたき・白菜などが使われます。煮込んだ具材を溶き卵につけて食べるのが一般的です。「すき焼き風」という名称で、牛丼チェーン店などでも類似のメニューが提供されています。
バリエーションと応用
牛肉以外の「~すき」
すき焼きの手法を応用して、鶏肉・豚肉・魚介類を使った鳥すき・豚すき・魚すきといった料理も存在します。調理法や味付けにはそれぞれ特色があり、地域ごとのバリエーションも楽しめます。
古文献に見るすき焼きの起源
江戸期以前の記録
江戸時代中期には、鋤を鉄板代わりに貝や魚を焼く「魚すき」「沖すき」という料理が関西に存在していました。これが牛肉に転用されたものが「鋤焼」とされます。また、『料理物語』(1643年)には「杉やき」という味噌煮込み料理の記述があり、これもすき焼きのルーツと考えられています。
朝鮮通信使の記録にも登場
1719年の朝鮮通信使、申維翰の『海游録』には「杉煮(すき焼き)」が美食として紹介され、日本の食文化の一端として伝えられています。
牛鍋の始まりと拡大
横浜と東京に広がる肉文化
1859年の横浜開港後、外国人居留地の影響で肉食文化が広まり、牛肉の加工や流通が開始されました。1862年には居酒屋「伊勢熊」が牛鍋店を開業し、1868年には「太田なわのれん」などが東京で牛鍋を提供。牛鍋は文明開化の象徴となっていきます。
まとめ
すき焼きは、時代とともに形を変えながらも、日本の食卓で愛され続けている料理です。鋤焼から牛鍋、そしてすき焼きへと受け継がれたこの料理は、日本の歴史と食文化を体現する存在と言えるでしょう。