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今戸神社

(いまど じんじゃ)

今戸神社は、東京都台東区今戸一丁目にある神社です。長い歴史を持ち、様々な伝承やエピソードで知られるこの神社は、浅草七福神の一つである福禄寿を祀り、招き猫の発祥地とされることでも有名です。また、新選組の沖田総司の終焉の地としても知られ、観光や参拝に訪れる人々に人気のスポットとなっています。

概要

今戸神社は、康平6年(1063年)に源頼義・義家親子が奥州討伐の際、京都の石清水八幡宮を勧進して祈願したことが始まりとされています。その後、永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に同じく戦勝祈願を行ったと言われています。神社は関東大震災や東京大空襲など幾度もの災害に見舞われましたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものです。

祭神

今戸神社の祭神は以下の通りです:

また、1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、それ以来、今戸八幡として知られていたこの神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになりました。

招き猫発祥の地

今戸神社は、招き猫発祥の地としても知られています。しかし、戦前やそれ以前の古文献には、招き猫と今戸神社に関する記録は確認されておらず、その関係性が文献上で明確に示されているわけではありません。それでも、平成時代の招き猫ブームに乗じて、神社は「招き猫発祥の地」としての看板を掲げ、縁結びのパワースポットとして広く知られるようになりました。

江戸時代の地誌『武江年表』や『藤岡屋日記』に記されたエピソードによると、浅草花川戸に住んでいた老婆が、貧しさから愛猫を手放した後、その猫が夢枕に立ち、「自分の姿を人形にすれば福徳を授かる」と告げました。そこで、その猫の姿を模した今戸焼の招き猫が作られ、浅草寺境内で販売されるとたちまち評判となりました。これが、今戸神社が招き猫の発祥とされる背景です。

沖田総司の終焉の地

今戸神社は、新選組の沖田総司の終焉の地としても知られています。神社の境内には、沖田総司が結核で倒れ、最後を迎えたとする碑が建立されています。しかし、現代の有力な史料によれば、沖田総司は今戸八幡神社(現・今戸神社)ではなく、千駄ヶ谷の植木屋の納屋で亡くなったとされています。

縁結びの神

今戸神社では、縁結びの神様として、伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦の神が祀られています。そのため、近年では縁結びの神社として多くの参拝者が訪れています。また、神社の絵馬は「真円形」のデザインであり、縁と円の語呂を掛け合わせたモダンなデザインが特徴です。

縁結び会について

2008年(平成20年)から、今戸神社では「縁結び会」と称するイベントを不定期に開催しています。これは、地元の氏子や参拝者からの要望に応じて、良縁を求める活動の一環として行われています。

祭事

今戸神社では、年間を通じてさまざまな祭事が行われています:

その他の逸話と特徴

今戸神社には、他にもいくつかの興味深い逸話や特徴があります。例えば、神社には珍しく、女性の神職者が奉職していることが挙げられます。さらに、境内や社務所の玄関先には多くの招き猫が飾られており、参拝者の目を楽しませています。

また、テレビアニメ「夏目友人帳シリーズ」の制作スタッフや声優が、第一期と第二期のそれぞれのヒット祈願を今戸神社で行ったことでも知られています。さらに、東京スカイツリータウン前〜浅草雷門〜秋葉原駅中央口を結ぶシャトルバス「AKIBA SHUTTLE」の一部車両には、今戸神社で祈祷を行ったハート形のつり革が吊るされているというユニークなエピソードもあります。

交通アクセス

今戸神社へのアクセスは、以下の通りです:

Information

名称
今戸神社
(いまど じんじゃ)

浅草・スカイツリー

東京都