羊羹との違い
見た目は似ていても製法と性質は異なる
「羊羹」という名前がついてはいますが、芋ようかんは一般的な練羊羹とは異なる点が多くあります。製法や保存性が異なり、特に消費期限の短さが特徴的です。
芋ようかんの一般的な製法
芋ようかんは、サツマイモを蒸して熱いうちに砂糖を加えて練り混ぜ、四角形の型に押し詰めて冷やし固めるのが基本的な作り方です。蒸す代わりに茹でる方法もあり、塩や寒天を加えて食感や保存性を調整することもあります。
消費期限の違い
なぜ芋ようかんは日持ちしないのか
芋ようかんの消費期限は、練羊羹と比べて極端に短く、通常2〜3日程度しかもちません。一方で、練羊羹は1か月以上保存可能です。
糖度の違いが要因
腐敗菌は糖度が50%を超えると活動できず、60〜65%になると死滅します。練羊羹の糖度は約62%と高く、保存性に優れていますが、芋ようかんの糖度は約21%しかなく、保存性に乏しいためです。このような理由から、芋ようかんは冷蔵保存でも日持ちしない繊細な和菓子なのです。
芋ようかんの歴史
江戸時代の駄菓子としての起源
蒸したり焼いたりした芋をほぐして砂糖を混ぜるという素朴な製法の菓子は、江戸時代から存在していました。これらは特定の名称を持たず、販売されていた小屋の名前をとって「番太郎菓子」と総称されていました。
文献にみる芋ようかんの記述
1816年(文化13年)刊行の『甘藷百珍』には、「羊羹いも」の製法が記されています。そこでは、藷精(いものじん)、アズキ烹粉(しぼりこ)、砂糖蜜が使われ、葛粉の代用として活用されていたことがうかがえます。
明治時代に確立された現在の形
現在の滑らかな口当たりの芋ようかんは、明治時代に和菓子の技術が進歩する中で生まれました。明治30年代、浅草寿町で芋と炭の卸問屋を営んでいた小林和助が、当時高価だった練羊羹の代わりに、身近なサツマイモで羊羹を作ることを発案しました。
その際、以前船橋のウィスキー工場で共に働いた石川定吉と協力し、芋ようかんを完成させます。このアイディアは「売り物にならないくず芋を生かしたい」という実用的な発想から生まれたものでした。
舟和の誕生
その後、小林和助は和菓子職人として修行を積み、1902年(明治35年)、定吉の故郷である船橋市の「舟」と自身の名「和助」の一文字をとって、浅草一丁目に「舟和」を創業しました。
定吉はのちに家族と共に栃木県足利市に移住し、「舟定」として和菓子づくりを継承しました。
現在の芋ようかん
全国的な普及と地域名産
現在では芋ようかんは日本全国で親しまれており、特に埼玉県川越市などのサツマイモの産地では、地域の名産品として愛されています。