浅草演芸ホールは、東京都台東区浅草の「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席です。都内に4軒ある落語定席(国立演芸場を含めると5軒)のうちの一つで、落語を中心に、漫才や奇術などの色物芸が多数演じられています。経営は東洋興業株式会社が担当しています。
浅草演芸ホールの客席数は1階が239席、2階が101席の合計340席で、都内の寄席の中では最大の規模を誇ります。その他のお笑い専門劇場を含めると、ルミネtheよしもと(458席)に次ぐ大きさです。1階は全席椅子席で、テーブルはありません。2階席にエレベーターはなく、階段でのみアクセス可能です。
場内での飲食・飲酒は許可されていますが、酒類の外部持ち込みは禁止されています。1階には売店があり、酒類も販売されています。また、自動販売機も設置されています。楽屋は下手側(客席から見て左側)に位置しています。
浅草演芸ホールは、はとバスなどの日帰りバスツアーのプランに組み込まれていることが多く、団体客や招待券での無料入場者が多いことも特徴です。観光地の中心に位置しているため、出演者に関係なく混雑していることが多く、立ち見を強いられることもあります。このため、落語ファンではない観客が多く、客同士のおしゃべりや携帯電話の着信音など、他の寄席に比べて騒がしい雰囲気があります。このような騒がしさを落語家がマクラ(導入部分)でネタにすることも多く、「浅草の客」といえば、ガヤガヤとした落ち着きのない客を指すことが通例です。
浅草演芸ホールが位置する浅草公園六区4号地の北東角には、1884年(明治17年)に区画整理が行われ、その後「開進館勧工場」が建てられました。1907年(明治40年)7月16日には、この勧工場に代わって映画館「三友館」が開場しました。三友館は映画会社・吉沢商店(現在の日活の前身の一社)が運営していました。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結後、1951年(昭和26年)に東洋興業が「三友館」跡地にストリップ劇場「フランス座」を開業しました。1959年(昭和34年)には一度フランス座を閉場し、5階建てビルに改築した上で1~3階に「東洋劇場」を開場し、4~5階に再び「フランス座」を再開しました。
1964年(昭和39年)、「フランス座」を改装し、落語定席として「浅草演芸ホール」が開場しました。1971年(昭和46年)には東洋興業が演劇から撤退し、「東洋劇場」を閉鎖したため、1階にホールが移設されました。
その後、上階に再開場した「フランス座」は1982年(昭和57年)に再度閉館しましたが、1987年(昭和62年)に再度開場。しかし1999年(平成11年)には経営不振によりストリップ興行を終了しました。2000年(平成12年)、建物上部を改装し、色物専門の演芸場「東洋館」として新たに開場しました。これにより、浅草演芸ホールの姉妹館として運営が続けられています。
浅草演芸ホールでは、毎月10日ごとに出演者と演目が入れ替わります。以下のように区分されています:
さらに、奇数月と偶数月で出演者の団体も変わります。奇数月は上席と下席が落語協会、中席が落語芸術協会となっており、偶数月はその逆です。昼の部と夜の部では出演者が異なる場合もあります。
毎月31日(1月を除く)は「余一会」として特別興行が行われています。特に、5月、7月、8月、10月の「余一会」は恒例のイベントとして親しまれています。
正月初席は、落語協会のスター落語家が勢揃いするイベントで、例年多くの観客で賑わいます。初席の5日間は姉妹館の「浅草東洋館」でも落語協会の定席となり、4部制での興行が行われます。
正月二之席は落語芸術協会の当年初興行で、芸協所属の芸人がほぼ勢揃いします。昼と夜の二部編成で、通常は入れ替え制は行われません。
七月上席では、落語協会メンバーによる「茶番」(鹿芝居)が恒例となっており、八月上席では、落語芸術協会メンバーによるデキシーバンド「にゅうおいらんず」の演奏が大喜利として行われています。八月中席には「納涼住吉踊り」が大喜利として行われます。
浅草演芸ホールは、さまざまなテレビ番組やドキュメンタリーの収録地としても知られています。テレビ東京の『新春!お笑い名人寄席』の収録や、『タイガー&ドラゴン』のロケ地として使用されています。また、NHKの『ドキュメント72時間』でも取り上げられました。
一般的に寄席のオーナーは「席亭」(せきてい)と呼ばれますが、浅草演芸ホールのオーナーは「社長」と呼ばれます。創立者の松倉宇七の後を継いだ松倉久幸が長らく社長を務め、現在は松倉由幸が継いでいます。
浅草演芸ホールには看板猫の「ジロリ」がいます。ジロリは2016年にチケット売り場の看板猫兼場内の安全係(閉館時のネズミ取り)として迎えられました。Twitterで人気を博し、多くのメディアで紹介されています。
これらの落語家は、浅草演芸ホールで初高座を踏み、その後の活躍へとつながりました。
浅草演芸ホールに関連する書籍も多数出版されています。例えば、東洋興業社長の松倉久幸による『浅草で、渥美清、由利徹、三波伸介、伊東四朗、東八郎、萩本欽一、ビートたけし…が歌った、踊った、喋った、泣いた、笑われた。』や、井上ひさし編著の『浅草フランス座の時間』などがあり、当劇場の歴史を語る上で貴重な資料となっています。
また、『浅草演芸ホールの看板猫ジロリの落語入門』など、ホールのユニークな側面を紹介する書籍も人気です。
浅草演芸ホールへのアクセスは以下の通りです: