浅草・スカイツリーには江戸東京博物館、浅草寺、東京スカイツリーなどの観光スポット、隅田川花火大会、三社祭、酉の市などの観光イベント、すき焼き、もつ鍋、そばなどのご当地グルメがあります。
浅草は台東区に位置しており、江戸時代から続く繁華街、観光地です。現在でも下町の情緒を感じられる町並みが残っています。西浅草には調理器具や食器、食品サンプルなどの専門問屋が並ぶ、かっぱ橋道具街があります。
両国橋周辺は両国と呼ばれ、大相撲やボクシング、格闘技、プロレスなどの興行が行われる両国国技館で知られています。東京スカイツリーは2012年にオープンした、電波塔であり観光施設です。
浅草は江戸時代から続く蕎麦屋が数多く並びます。当時から変わらない香り高い蕎麦は絶品です。季節の野菜や魚介類の天ぷらと一緒に召し上がってください。肉厚の鴨とネギの入った鴨南蛮、大きな海老の天ぷらが乗った天丼もおすすめです。煮込みを肴に気取らずホッピーを楽しむ居酒屋もあります。
おみやげには大学芋やスイートポテト、大福などのスイーツが人気です。また、両国駅周辺にはちゃんこ鍋屋が集中しており、どこも相撲部屋で食べられている絶品の味です。
東京スカイツリーの下には東京ソラマチという商業施設があります。2012年に開業した東京ソラマチは、その年の流行語大賞のトップテンにランクインするほど話題となりました。
女性向けのネイルサロンやカフェ、スイーツショップから、ファミリーで楽しめるレストラン、幅広い年齢層向けのアパレルショップなどさまざまな店舗が並びます。ここでしか買うことのできない東京スカイツリーグッズや、キャラクターグッズもあります。
浅草は都内屈指の観光地ですが、特に有名な観光スポットは浅草寺です。浅草寺は東京都内最古のお寺で表参道入口には雷門があり、多くの観光客が記念写真を撮影しています。雷門をくぐると仲見世と呼ばれる、土産物屋やお菓子屋が宝蔵門までズラリと並びます。
宝蔵門の左右には金剛力士像が安置され、門の裏側の左右には巨大なわらじが吊り下げられています。本堂には帝釈天像を始めとする、いくつもの像が安置されています。他には五重塔や二天門なども人気の観光スポットです。
東京スカイツリーは、東京都墨田区押上に位置する電波塔であり、東京のランドマークの一つとして知られています。高さは634メートルに達し、タワーとしては世界第1位の高さを誇っています。建築物全体としては、ブルジュ・ハリファ(アラブ首長国連邦)やムルデカ118(マレーシア)に次ぐ世界第3位となります。 スカイツリーは、商業施設「東京ソラマチ」、オフィスビル「東京スカイツリーイーストタワー」を含む「東京スカイツリータウン」の中心的な存在です。周囲にはショッピングや飲食店、エンターテインメント施設が充実しており、観光客や地元住民にとって人気のスポットです。 東武鉄道の旧・業平橋駅の貨物駅跡地に、東武...»
東京都内最古の寺院である浅草寺は、下町情緒が漂う参道と仲見世通り、雷門や宝蔵門、本堂や五重塔などを有し、連日多くの観光客で賑わう日本有数の観光名所です。 ...»
東京スカイツリータウンの東京ソラマチ内にある水族館。約260種、7000匹の海の生物を8つのゾーンで展示している。21:00まで営業しているため、観光の最後に寄ることもできる。 クラゲアカクラゲやタコクラゲなど、すみだ水族館で生まれ育った約14種700匹のクラゲを展示。長径7メートルの巨大な水盤型水槽「ビッグシャーレ」では、約500匹のミズクラゲをアクリル越しではなく上から直接眺めることができる。 続く「ラボ」では、クラゲの飼育設備や成体になるまでの成長過程、繁殖活動を観察できる。「万華鏡トンネル」(全長50メートルのスロープの、壁と天井に約5000枚の鏡)ではクラゲをテーマとした映像、照...»
日本で最も古い商店街のひとつで、浅草寺の雷門から宝蔵門まで長さ約250メートルにわたって、老舗の和菓子屋やお土産店が参道の両側に軒を連ねる。 人形焼、コロッケ、肉まん、メンチカツ、大学芋、たい焼き、あげ饅頭、アイスもなか、ジェラートなど、食べ歩きで伝統の味が楽しめる。 江戸時代に境内や参道で形成された、日本で最も古い商店街の一つとされる。 江戸時代には伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、「二十軒茶屋」と呼ばれる20件の水茶屋が並んでいた。雷門寄りの店は平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、土産品などを販売していた。 1885年には赤煉瓦造りの建物が新たに完成して近代仲見世が...»
向島百花園は、東京都墨田区東向島に位置する都立庭園です。この庭園は江戸時代に発祥し、歴史的な花園として知られています。梅や萩など四季折々の花々が咲き誇り、訪れる人々に癒しを提供しています。また、隅田川七福神の発祥地でもあり、福禄寿が祀られています。...»
ちゃんこ鍋は、相撲部屋において日常的に食べられている鍋料理であり、特に力士の身体作りに欠かせない料理です。魚介、肉類、野菜など多種多様な食材をふんだんに使い、大鍋で煮込むことで一度に大量調理が可能。効率よく栄養バランスを確保できる点が魅力で、まさに“稽古場の次に重要”とされる食文化なのです。 ...»
江戸時代から庶民に親しまれた下町生まれのどじょう料理。どじょうは古くから関東地方の名産。土鍋に骨や内臓を取り除いたどじょうと笹がきごぼうを割り下で煮込み、玉子でとじる。どじょう特有の泥臭さをごぼうが取り除き、どじょうの旨みを玉子が引きだしている。あっさりと淡白などじょうに、甘い割り下がよく絡む。名前の由来は日本橋で料理を考案した店の屋号からとも、福岡の水郷柳川からとも言われている。「どぜう鍋」とはごぼうと玉子の有無で区別される。滋養強壮の効果があるため、夏バテ対策にも食される。...»
東京発祥の伝統的スイーツといえば“あんみつ”。明治30年代始めに、浅草でうまれた“みつ豆”が、銀座に伝わりあんをのせて出したのが”あんみつ”のルーツといわれている。寒天の上に、赤えんどう豆と果物、そしてあんをのせて、黒蜜をかけていただく”あんみつ”を筆頭に、ソフトクリームやアイスをのせた“クリームあんみつ”、白玉をトッピングした“白玉クリームあんみつ”など、あんみつから派生した和スイーツは、今もなお庶民の味として愛され続けている。...»
関東風のすき焼きは、牛鍋の名残を色濃く残しており、醤油・砂糖・酒をベースとした割下で肉や野菜を煮る鍋料理として知られています。煮立たせた割下に牛肉や野菜、焼き豆腐などを加え、煮えたところを溶き卵につけて食べるのが特徴です。...»
饅頭を油で揚げており、一見てんぷらにも見えるが中には餡子が詰まっている。抹茶あげまんじゅう、いもあげまんじゅう等、衣や中身の餡もバリエーションに富み、浅草仲見世ではその場で出来たてを買って食べる事が出来る。...»
どじょう鍋は、東京の下町で古くから愛されてきた郷土料理で、通年楽しめるスタミナ料理です。もともとどじょうは全国の稲作地帯で広く獲れる川魚で、味噌鍋に入れて食されていました。 栄養価が非常に高く、カルシウムはうなぎの約9倍、さらにビタミンD、鉄分、亜鉛も豊富で、昔から健康食として親しまれてきました。...»
東京湾は、言わずとしれたあさりの産地。都内で漁獲されているのは、羽田だけとなってしまったが、お隣千葉県では、現在も各地で盛んに漁が行われている。最盛期を迎えるのは、産卵前の冬から春といわれています。あさりは、栄養価も高く、ビタミンや血液をさらさらにするタウリン、鉄分も含まれている。これらの栄養素をあますところなく食すには、あさり鍋がおすすめ。砂抜きしたあさりと水と共に鍋に入れ煮立て、アクを取り除く。塩と醤油で味付けし、エノキと豆腐、セリを入れて火が通ったら完成。スープまで飲み干せば栄養満点!...»
芋ようかんは、サツマイモを主原料として練り上げ、成型された和菓子です。甘味を抑え、サツマイモ本来の素朴で自然な風味を大切にしています。特に有名な舟和の芋ようかんは、着色料・保存料・香料を一切使用せず、甘藷・砂糖・少量の塩のみで作られています。 このような製法により、老若男女問わず幅広い世代に親しまれており、舟和の代表的な商品として長く愛され続けています。...»
東京・人形町で発祥のカステラ生地にあんこをはさんで焼いた東京土産の定番和菓子。浅草寺境内には名店が軒を連ね、店先では職人が次々と人形焼をつくりだす姿が見学できる。焼き型に生地を流し、すばやく餡を分け入れる熟練の技を見ながら食べる焼きたての味はまた格別。雷門や五重塔といった浅草の名所や七福神をかたどったものが有名。しっとりふわふわのカステラにあんこの甘みがどこか懐かしい味わい。生地のみの「餡なし」もある。近年ではキャラクターの顔やクリームの入った変りダネも人気だ。...»
「雷おこし」は、浅草参りのお土産品として、浅草雷門再建当時から売り出され、仲見世通りには、「雷おこし」を売る店が何軒もならんでいた。一時は、行商も出現するほど。原料は、米と砂糖。「おこし」と名の付く菓子は大阪にもあり「板おこし」と呼ばれている。こちらは、固い板状のおこしなのに対し、「江戸前おこし」とも呼ばれる「雷おこし」は、小さな子供からお年寄りまで食べられるやわらかな口当たりが特徴。東京を代表する銘菓として全国に知れ渡っている。...»
栗を熱した小石の中で砂糖をかけながら煎ったものである。昼夜の寒暖差が大きく、甘さと風味、そして柔らかさが際立つおいしい栗の産地、中国の燕山山脈付近でしか採れなかった貴重な甘栗を、日本人が国に持ち帰り販売されるようになったのがはじまり。その栗も今やブランド化して、高値で取引されている。大きな釜でガラガラと音をたてながら、焼きたての甘栗を販売する屋台は、誰もが知っている東京の名物。また近年、むきにくい皮をあらかじめむき、袋詰めにして販売している甘栗も大ヒット商品となっている。...»
2本足で立ち、手をつかない鶏は、相撲の世界では「縁起もの」とされている。両国国技館での大相撲観戦の名物として販売されているのがこの「国技館やきとり」。国技館の地下で実際に焼かれており、冷めてもおいしく食べられ、お土産にしても喜ばれる。両国国技館だけでなく、東京駅をはじめ、上野駅、新宿駅など都内の主要駅で購入することができる。...»
今戸神社は、東京都台東区今戸一丁目にある神社です。長い歴史を持ち、様々な伝承やエピソードで知られるこの神社は、浅草七福神の一つである福禄寿を祀り、招き猫の発祥地とされることでも有名です。また、新選組の沖田総司の終焉の地としても知られ、観光や参拝に訪れる人々に人気のスポットとなっています。 概要 今戸神社は、康平6年(1063年)に源頼義・義家親子が奥州討伐の際、京都の石清水八幡宮を勧進して祈願したことが始まりとされています。その後、永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に同じく戦勝祈願を行ったと言われています。神社は関東大震災や東京大空襲など幾度もの災害に見舞われましたが、その都...»
浅草花やしきは、東京都台東区浅草の浅草寺の西側に位置する、日本で最も古い遊園地です。1853年(嘉永6年)に開園し、その長い歴史とともに、さまざまな変遷を遂げてきました。敷地面積は約5,800m²で、日本で現存する最古のローラーコースターを有しています。現在はバンダイナムコアミューズメントの子会社である株式会社花やしきが運営を行っています。 創業と初期の歴史 「花屋敷」としての始まり 浅草花やしきの歴史は、1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎によって開かれた植物園「花屋敷」から始まります。当初は牡丹や菊細工を主とした植物園で、江戸時代の茶人や俳人たちの集会の場、大奥の女中た...»
本龍院は、東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつです。山号は待乳山であり、本尊は歓喜天(聖天)と十一面観音です。そのため「待乳山聖天」とも称されます。この寺には、浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られています。 本龍院の概要 本龍院は、隅田川のべりにある小高い丘、待乳山に位置しています。この丘はかつて周囲を一望できる場所であり、多くの文人墨客が訪れた歴史を持ちます。待乳山の名の由来については諸説ありますが、「真土(まつち)」とも書かれ、この地が泥海であった時代に唯一「真の土」であったことに由来するという説があります。 歴史 待乳山は、595年(推古天皇3年)9月に出...»
東本願寺は、東京都台東区西浅草にある浄土真宗東本願寺派の本山です。本尊は阿弥陀如来で、単立宗教法人として「浄土真宗 東本願寺派 本山 東本願寺」という正式名称を持ちます。 概要 東本願寺の現在の住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主である大谷光見(聞如)です。境内は4,250坪の広さを誇ります。 由緒 開創 東本願寺の起源は、1651年(慶安4年)に東本願寺第12世教如が神田に江戸御坊光瑞寺を建立したことに始まります。その後、京都の東本願寺の掛所(別院)として位置づけられました。 浅草移転 1657年(明暦3年)の明暦の大火によって焼失し、浅草に移転しました。これにより「浅草本願...»
隅田公園は、東京都台東区と墨田区にまたがる隅田川沿いに位置する美しい公園です。右岸は台東区浅草、花川戸、今戸にあり、左岸は墨田区向島に広がります。隅田公園は桜の名所として知られ、春には約700本の桜が満開となり、また夏には隅田川花火大会が行われることで、季節ごとに異なる魅力を見せるスポットとして、地元の住民や観光客に親しまれています。 公園の歴史と概要 隅田公園は、1923年に発生した関東大震災後の東京復興事業の一環として計画・整備されました。この復興事業は後藤新平の主導により進められ、隅田公園は浜町公園(中央区)、錦糸公園(墨田区)と並んでその重要なプロジェクトの一部として位置づけられま...»
浅草文化観光センターは、東京都台東区雷門二丁目に位置する複合施設で、観光案内所や展望テラスなどが設置されています。この施設は、浅草雷門前に立地しており、観光客や地元住民にとって重要な情報発信拠点となっています。 施設の概要 浅草文化観光センターは、観光情報の提供をはじめ、様々なサービスを提供する複合施設です。1階には日本語、英語、韓国語、中国語に対応した案内カウンターや外貨両替所が設けられており、外国人観光客にも配慮された施設となっています。また、2階には観光情報コーナーがあり、浅草を訪れる際の参考となる資料が揃っています。さらに、6階には階段状の多目的スペース、7階には展示スペースがあり...»
東京都台東区に位置する「合羽橋(かっぱばし)道具街」は、主に食器具、調理器具、包装用品、食品サンプルなどの道具を扱う問屋街として知られています。浅草と上野の中間に位置するこのエリアは、約800メートルにわたって南北に広がり、道具街の中心には「菊屋橋交差点」があります。合羽橋道具街は、国内外から訪れる多くの料理人や観光客に愛されている場所で、毎年10月に開催される「かっぱ橋道具まつり」も非常に人気です。 名称の由来とシンボル 「合羽橋」という名前には、雨具の「合羽」だけでなく、妖怪「河童」にまつわる伝承が関連しています。街の至るところには河童の置物や壁面装飾が見られ、歩道のアーケードや建物の...»
桜橋は、東京都の隅田川に架かる唯一の歩行者専用橋で、両岸に広がる隅田公園を結ぶ役割を持つ橋梁です。この橋は、1980年に始まり、1985年に完成しました。 概要 桜橋は、台東区と墨田区の姉妹提携事業の一環として誕生しました。隅田川に架かる23番目の橋であり、特徴的なX字形のデザインは日本初の試みです。桜橋は、春の桜の季節になると多くの人々が訪れ、橋の上から隅田川両岸の桜を楽しむ光景が広がります。総工費28億3000万円は、台東区と墨田区で折半されました。 デザインと景観との調和 桜橋は、その美しい景観と周囲の環境との調和を考慮して設計されました。石畳の歩道やガラス張りの手すりが設置され...»
浅草演芸ホールは、東京都台東区浅草の「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席です。都内に4軒ある落語定席(国立演芸場を含めると5軒)のうちの一つで、落語を中心に、漫才や奇術などの色物芸が多数演じられています。経営は東洋興業株式会社が担当しています。 ホールの概要 浅草演芸ホールの客席数は1階が239席、2階が101席の合計340席で、都内の寄席の中では最大の規模を誇ります。その他のお笑い専門劇場を含めると、ルミネtheよしもと(458席)に次ぐ大きさです。1階は全席椅子席で、テーブルはありません。2階席にエレベーターはなく、階段でのみアクセス可能です。 場内での飲食・飲酒は許可さ...»
浅草神社は、東京都台東区浅草に位置し、浅草寺本堂の東隣りに佇む神社です。地元では「三社権現(さんじゃごんげん)」や「三社様(さんじゃさま)」といった通称で親しまれ、毎年5月に開催される例大祭「三社祭」が特に有名です。 概要 浅草神社は、浅草寺の創建に関わった3人の人物を祭神として祀る神社です。神仏分離後も、その歴史と伝統を受け継ぎ、江戸時代から続く建造物が現存しています。境内には歴史的な社殿や石碑などが点在しており、歴史的価値が高い文化財としても知られています。 祭神 浅草神社の主祭神は、浅草寺の創建に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひの...»
鷲神社は、東京都台東区千束3丁目に位置する神社で、「おとりさま」とも呼ばれています。特に11月に行われる例祭「酉の市(とりのいち)」で広く知られ、多くの参拝者が訪れます。 祭神 天日鷲命(あめのひわしのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 鷲神社の歴史 古来、この地には天日鷲命が祀られており、伝説によれば、日本武尊が東征の際に戦勝を祈願したとされています。しかし、実際には隣接する長國寺に祀られていた鷲宮が始まりとされています。江戸時代中期からは「酉の市」で有名になり、明治初年の神仏分離により、長國寺から独立して現在の鷲神社となりました。 酉の市(とりのいち)とは 酉...»
東京ソラマチは、東京都墨田区押上一丁目1番2号に位置するショッピングセンターであり、東京スカイツリータウンの一部として併設されています。運営は東武鉄道株式会社の子会社である東武タウンソラマチ株式会社が担当し、2012年(平成24年)5月22日に開業しました。 概要 東京ソラマチは東京スカイツリーの根元に立地し、東京スカイツリータウンを構成する主要な施設のひとつです。2011年(平成23年)11月27日には、報道関係者向けに内装作業前の内部が公開されました。また、2012年12月3日には、その年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれました。 主要テナントの紹介 東京ソラマチには、地下3階か...»
長命寺は、東京都墨田区向島に位置する天台宗の寺院です。この寺院は、山号を「宝寿山(寶樹山)」、院号を「遍照院」とし、本尊として阿弥陀如来を祀っています。また、隅田川七福神のうち弁財天を安置していることでも知られています。さらに、「長命寺桜もち」という伝統的な和菓子の発祥地として、多くの人々に親しまれています。 長命寺の歴史 長命寺の創建については、平安時代の円仁(えんにん)による開山説や、慶長年間(1596年〜1615年)に創建されたという説があり、詳細は不詳です。元々は「宝樹山常泉寺」と号していましたが、江戸幕府第3代将軍徳川家光の命により、現在の名称「長命寺」に改められました。 徳川...»
本所松坂町公園は、東京都墨田区両国に位置する区立公園です。この公園は、元禄赤穂事件で知られる「吉良邸討ち入り」の舞台となった場所であり、歴史的な背景を持つ特別な場所です。吉良義央が晩年を過ごした邸宅があった場所で、現在もその歴史を感じさせる遺構が残されています。 本所松坂町公園の特徴と施設 この公園は、一般的な児童公園とは異なり、遊具などは設置されていません。敷地面積約98平方メートル(約29.5坪)というコンパクトな空間には、吉良義央を祀る神社や稲荷明神、そして桜の木などがあり、むしろ記念広場としての性格が強い場所です。 公園内には、吉良義央の屋敷がかつて存在していたことを示す井戸や、...»
横網町公園は、東京都墨田区横網に位置する東京都立の公園です。東京都慰霊堂や復興記念館があり、歴史的な事件の記憶を継承する場所として知られています。 公園の概要 横網町公園は、もともと陸軍被服本廠があった場所に位置しています。1922年に被服廠が赤羽台へ移転した後、東京市(現在の東京都)がこの土地を買収し、公園として整備しました。1923年7月に工事が始まりましたが、その直後に関東大震災が発生し、未完成の状態で避難場所として利用されることとなりました。 歴史 関東大震災と公園の役割 関東大震災が発生したのは、工事が進行中の1923年9月1日でした。火災を伴った大規模な災害であったため、...»
東武博物館は、東京都墨田区東向島にある博物館で、東武鉄道に関する資料や車両などを収集・展示しています。東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)東向島駅の高架下に位置し、運営は一般財団法人東武博物館が行っています。 概要 東武博物館は、東武鉄道の創立90周年を記念して1989年(平成元年)5月20日に開館しました。博物館は、実際に東武鉄道で使用された蒸気機関車、電気機関車、電車、バスなどの実物展示をはじめ、運転シミュレータやジオラマなど多彩な展示が揃っています。 設立の背景 博物館の建設地選定にあたっては、東武動物公園駅のヤード跡地や新越谷駅高架下、葛生駅ヤード跡地などが候補として挙げられ...»
牛嶋神社は、東京都墨田区向島に位置する神社で、東京本所総鎮守として知られています。隅田公園内にあり、歴史的な背景と文化財が多く残されている名所です。 歴史と創建 牛嶋神社の創建は貞観年間(859年 - 879年)に遡ります。伝説によれば、慈覚大師円仁が当地に来た際、須佐之男命の化身である老翁からの託宣を受けて神社を建立したとされています。明治以前は「牛御前社」と呼ばれ、本所の総鎮守として崇められていました。 源頼朝と千葉氏の崇敬 鎌倉時代、源頼朝が鎌倉に進軍する際、隅田川を渡河するために当社で祈願しました。この時、千葉常胤が神社に祈りを捧げ、無事に軍勢が川を渡ることができたと伝えられて...»
回向院は、東京都墨田区両国二丁目に位置する浄土宗の寺院です。かつてその別院であった寺院が東京都荒川区南千住五丁目にも存在し、歴史的な価値を持つ両寺院が独自の役割を果たしています。 歴史と概要 回向院は、1657年(明暦3年)の明暦の大火、通称「振袖火事」で亡くなった10万8千人の焼死者を埋葬するために建立されました。この火災の犠牲者を悼むため、幕府の命によって万人塚が設けられたことが始まりです。その後、安政大地震の犠牲者や水死者、焼死者、刑死者など、無縁仏も供養する場として発展しました。 創建とその背景 回向院の創建は、1667年(寛文7年)に本所の回向院が開創されたことに始まります。...»
旧安田庭園は、東京都墨田区横網一丁目に所在する大名庭園で、潮入り回遊式庭園として整備されています。小島が浮かぶ心字池を老樹と散策路が囲む美しい構成で、雪見灯篭が配され、池には鯉や亀が遊ぶ姿が見られます。この庭園では、人工的に水位の干満が再現され、季節ごとの変化を楽しむことができます。 歴史 江戸時代の起源 旧安田庭園は、江戸時代に本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷として使用されました。元禄年間に本庄宗資によって大名庭園として築かれ、安政年間には隅田川の水を引き込んだ潮入回遊庭園として整備されました。その後、明治時代に入り旧岡山藩主池田章政の邸宅となりました。 安田善次郎の...»
両国国技館は、東京都墨田区横網一丁目に位置する大相撲の興行施設で、公益財団法人日本相撲協会が所有しています。この施設は大相撲の本拠地としてだけでなく、プロレスやボクシングなどの格闘技の興行会場、音楽ライブ、クラシック音楽のコンサートなど多用途に利用されています。 概要 「両国国技館」という名称は、日本相撲協会が一般向けに使用する通称で、正式には「国技館」と呼ばれます。相撲の番付表では、旧字体で「國技館」と表記されることもあります。現在の両国国技館は、1985年に建設されたもので、約11,000人の観客を収容可能な日本国内最大の相撲専用施設です。 旧国技館の歴史 初代国技館の建設 19...»
すみだ北斎美術館は、東京都墨田区亀沢にある公立美術館で、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の功績を称えるために設立されました。2016年11月22日に開館し、北斎が生涯を過ごしたとされる本所界隈の一角に位置しています。 美術館の概要 すみだ北斎美術館は、葛飾北斎が生まれ育ったゆかりの地に設けられました。美術館の建設構想は1989年に始まり、1993年に建設予定地を購入しましたが、財政難で一時中断されました。その後、東京スカイツリーの建設決定を受け、計画が復活し、2016年に開館しました。 建物の特徴 美術館の建物は、建築家・妹島和世によって設計され、2018年には第59回BCS賞を受賞し...»
東京都江戸東京博物館は、東京都墨田区に位置する博物館で、江戸・東京の伝統文化の保存と都民文化創造の拠点として建設されました。本館は1993年3月に開館し、両国駅から徒歩3分の場所にあります。また、分館として江戸東京たてもの園があり、こちらも同年に開館しました。本館は施設の老朽化に伴う改修工事のため、2022年4月1日から2025年まで休館していますが、分館は引き続き営業中です。 博物館の概要 江戸東京博物館は、江戸と東京の歴史・文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的とし、「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として開館しました。運営は指定管理者制度により、公益財団法人東京都歴史...»
神谷バーは、東京都台東区浅草1丁目にある、日本最初のバーで、神谷商事株式会社が運営しています。特に「電気ブラン」というアルコール飲料で有名で、浅草を訪れる多くの文豪たちにも愛されました。木下杢太郎は電気ブランより薄荷酒を好んだとされています。 沿革 神谷バーの歴史は1880年(明治13年)に始まります。神谷傳兵衛が東京府東京市浅草区浅草花川戸町(現在の東京都台東区浅草)に「みかはや銘酒店」を開業し、当初は濁り酒を販売していました。その後、以下のような重要な出来事が続きました。 1881年(明治14年): 輸入葡萄酒の販売を開始。 1882年(明治15年): 現在の電気ブランである速...»
刀剣博物館は、東京都墨田区横網一丁目に位置し、公益財団法人日本美術刀剣保存協会が運営しています。本館は、日本刀を中心とした美術刀剣類の保存と展示を行い、また協会の事務所も同じ建物内に所在しています。 日本刀文化の普及と保存の拠点 刀剣博物館は、日本刀の保存と公開を通じて日本刀文化を普及させる役割を担っており、世界に向けて日本刀の魅力を発信する拠点です。所蔵品には、刀剣、刀装、刀装具、甲冑、金工資料、古伝書などが多数含まれ、その中には国宝や重要文化財に指定された品々もあります。 施設の歴史 刀剣博物館は、1968年(昭和43年)に渋谷区代々木四丁目で開館しましたが、2017年(平成29年...»
東京都復興記念館は、東京都墨田区横網二丁目の横網町公園内に位置する博物館です。管理・運営は公益財団法人東京都慰霊協会が担当しています。この記念館は、関東大震災や第二次世界大戦に関する歴史的な資料を保存し、後世に伝えることを目的としています。 設立の背景と目的 復興記念館は、関東大震災の被災状況や遺品、写真などを後世に伝えるため、昭和6年(1931年)に建設されました。当初は隣接する震災記念堂(現在の東京都慰霊堂)にこれらの資料を展示する予定でしたが、1929年に開催された帝都復興展覧会で多くの資料が集まったため、専用の記念館が建設されることになりました。 関東大震災と復興の記録 復興記...»
東京都墨田区横網に位置する東京都慰霊堂は、横網町公園内にある慰霊施設です。1930年(昭和5年)に関東大震災で犠牲となった身元不明の遺骨を納め、震災で亡くなった方々の霊を祀る「震災記念堂」として創建されました。その後、1948年(昭和23年)には東京大空襲での犠牲者の遺骨も合祀され、1951年(昭和26年)に「東京都慰霊堂」と改称され、現在に至ります。 この施設は東京都の管理のもと、仏教各宗派によって祭祀が行われています。毎年3月10日(東京大空襲の日)と9月1日(関東大震災の日)に大法要が営まれ、犠牲者の霊を慰めるための儀式が行われます。現在は公益財団法人東京都慰霊協会が管理運営を担当して...»
立花大正民家園 旧小山家住宅は、東京都墨田区立花に位置する古民家です。1917年(大正6年)に建築され、江戸時代の農家と町家の特徴を兼ね備えた独特の建築様式が特徴です。また、庭園内に七福神の石像が設置されており、一箇所で七福神巡りができる観光スポットとしても注目されています。墨田区の指定有形文化財として、保存・公開されており、地域の文化遺産として大切にされています。 沿革と歴史 旧小山家住宅は、1917年(大正6年)に、小山市五郎によって建設されました。建物が立つ前には茅葺きの住宅があり、それを解体して新たに建てられたものです。小山家は、江戸時代には名主として、村のリーダー的存在であり、町...»
すみだ郷土文化資料館は、東京都墨田区の歴史や文化を次世代に伝えるための博物館です。地域の歴史や民俗資料を収集し、保存し、活用することを目的としています。これにより、地域文化の発展や文化的な創造力を育む拠点として重要な役割を担っています。この資料館は1998年(平成10年)に開館し、以来、多くの来館者に墨田区の魅力を伝えています。 展示内容と施設の概要 1階展示室:「すみだのあゆみ」 1階展示室では、墨田区の歴史を古代から現代まで紹介しています。特に、墨田区北部の向島と南部の本所の歴史を詳しく解説しています。向島は、弥生時代以後に陸地化が進み、古墳時代から人々が住み始めた地域です。一方、本...»
三囲神社は、東京都墨田区向島に位置し、宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)を祭神として祀る神社です。この神社の創建は定かではありませんが、文和年間(1352年~1356年)に近江国三井寺の僧が巡礼中に当地で荒れた祠を見つけたことが由来とされています。その際、修復しようとしたところ地中から壺に収められた白狐にまたがる神像が発見され、神秘的な出来事が起こりました。白狐が現れ、その神像の周囲を三度回り消え去ったという伝承があり、これが神社名「三囲」の由来とされています。 俳人宝井其角と雨乞いの伝説 元禄6年(1693年)、江戸が厳しい干ばつに見舞われた際、俳人宝井其角が当地を訪れ、地元の人々の頼...»
法恩寺は、東京都墨田区に位置する日蓮宗の寺院です。山号は「平河山」、院号は「本住院」と称され、本尊には十界曼荼羅が祀られています。法恩寺は小西法縁のひとつであり、その歴史と伝統を今日まで継承してきました。 寺の創建は1458年(長禄2年)にさかのぼります。江戸城を築いた太田道灌が、城の鎮護を願って建立したもので、当初は「本住院」と呼ばれていました。寺名が「法恩寺」に改められたのは、道灌の嫡子・法恩斎の年忌にあたり、孫の太田資高が改称したことに由来します。その後、寺は複数回の移転を経て、1695年(元禄8年)に現在の地へと移転しました。 法恩寺の歴史と由緒 法恩寺の創建は、江戸時代以前の1...»
東京都墨田区に位置する「たばこと塩の博物館」は、日本たばこ産業(JT)が運営する企業博物館であり、その愛称は「タバシオ」です。かつて専売品であった「たばこ」と「塩」の歴史と文化に焦点を当て、幅広い展示を行っています。もともとは1978年に東京都渋谷区に開館されましたが、2013年に移転し、現在の場所で再開されました。 開館の背景と移転 たばこと塩の博物館は、1978年(昭和53年)に当時の日本専売公社によって設立されました。その目的は、タバコと塩に関する資料の収集や調査、文化的な研究を通じて、これらの品目の歴史と文化を広く紹介することでした。当初、博物館は東京都渋谷区神南の渋谷公園通り沿い...»
天祖神社は、東京都江東区に位置する神社で、江東天祖神社とも呼ばれています。この神社は、古くから地域の人々に親しまれ、病気や災難から人々を守る神社としての崇敬を集めてきました。 歴史 創建の時期 天祖神社の創建時期は不明ですが、社伝によると「推古天皇の御代に創建された」と伝えられています。このことから、天祖神社は非常に長い歴史を持つことが伺えます。 災害に負けない社殿 天祖神社は、度重なる災害に見舞われました。特に1923年(大正12年)の関東大震災では、社殿が焼失してしまいました。しかし、この再建時に鉄筋コンクリート造を採用し、日本で最初の鉄筋コンクリート造の社殿とされています。この...»