浅間神社は、東京都練馬区小竹町に位置し、地元では「江古田浅間神社」や「茅原浅間神社」とも呼ばれています。木花佐久夜姫命を祀るこの神社は、富士信仰の神社として知られ、古くから地域住民の信仰を集めています。
神社の創立は承平元年(931年)に遡ると言われていますが、歴史的にははっきりしていません。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「富士浅間社」と記載され、真言宗豊山派の能満寺が別当寺として関連していました。境内には、「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」と記された歌碑があり、「茅原浅間神社」としても知られています。
昔、小竹町と江古田町の住民がこの神社の所有権をめぐり争った際、夏にもかかわらず雪が降るという天変地異が起こったとされています。これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として神社を祀ることに決めました。現在でも、この伝説は語り継がれており、神社に付随する能満寺の山号「夏雪山」も、この伝説に由来していると言われています。
浅間神社の拝殿後方には、「江古田の富士塚」が保存されています。この富士塚は、1979年5月21日に国の重要有形民俗文化財に指定され、1986年には練馬区登録有形民俗文化財にも登録されています。富士山の溶岩で覆われたこの富士塚は、天保10年(1839年)に「小竹丸祓講」という講中によって築かれ、高さ8メートル、直径約30メートルの規模を誇ります。
江古田の富士塚には、天狗や猿などの神像や石碑があり、文化4年(1807年)の石灯籠などの歴史的な遺物も残っています。これらの遺物から、この富士塚が文化年間(1804〜1817年)に築造されたのではないかという説もあります。都区内に残る富士塚の中では非常に大規模なものとされており、今でも「山開き」や「登山」といった神事が行われています。
1983年以降、講中による富士塚参詣は行われなくなりましたが、毎年7月1日の「山開き」には一般の登拝が許可され、多くの参拝者が訪れます。また、正月三が日や9月に行われる例祭の際にも、富士塚に登ることができます。2000年度には「江古田の富士講関係資料」が練馬区登録有形民俗文化財に指定されました。
富士山は、日本において最も著名な霊山の一つであり、古来より修験道の行者による登拝が行われてきました。富士塚は、富士山を模して築かれた塚で、庶民も気軽に富士山に登拝できるようにと、江戸時代に各地で築造されました。特に、江戸時代中期からは「富士講」と呼ばれる集団が結成され、江戸を中心に全国各地で富士塚が築かれるようになりました。
江古田の富士塚は、天保10年(1839年)に築造されたとされていますが、一説には文化年間に築かれたとも言われています。高さ8メートル、直径30メートルの規模を持ち、関東大震災で一部が損壊しましたが、その後復旧されました。現在も、塚全体が富士山の溶岩で覆われています。都内に残る富士塚の中でも特に大規模なものとして知られており、毎年の「山開き」には多くの人々が訪れます。
江戸時代後期から昭和初期にかけて、富士山や神奈川の大山に登拝するための信仰集団「富士講」や「大山講」が練馬区内にも多く存在しました。これらの集団は、霊峰富士山に登り、浅間神社に参拝することを目的に活動しており、年ごとに代表者を選び、全員でその費用を分担していました。富士講の信仰が広まるにつれて、富士山に似せた富士塚が各地に築造されるようになり、富士塚に登拝することで実際に富士山に登ったのと同じ御利益が得られるとされていました。
浅間神社の境内には、稲荷神社も祀られています。祭神としては宇迦之御魂命が祀られており、参拝者が絶えません。
浅間神社へのアクセスは非常に便利で、西武池袋線の江古田駅から徒歩約1分です。拝観は無料となっており、気軽に訪れることができます。ぜひ、歴史深いこの神社を訪れてみてください。