王子神社は、東京都北区王子本町に位置する格式高い神社です。旧称は「王子権現」と呼ばれており、この地域の地名「王子」の由来にもなっています。長い歴史を誇り、多くの人々に崇拝されてきました。
王子神社の祭神は「王子大神」と総称され、以下の神々を祀っています:
創建の正確な年月日は不明ですが、平安時代の康平年間(1058年 - 1065年)に源義家が奥州征伐の際、当地で金輪仏頂を修法し、凱旋の日に甲冑を奉納したという伝説が残っています。
鎌倉時代末期の文保年間(1317年 - 1319年)および元弘年間(1331年 - 1334年)には、当地の領主豊島氏が社殿を再興し、熊野新宮の浜王子から「若一王子宮」を勧請し、神社の名を「王子神社」としました。
明治時代初期には准勅祭社に指定され、格式をさらに高めました。しかし、昭和20年(1945年)の太平洋戦争で社殿が焼失しましたが、昭和39年(1964年)と昭和57年(1982年)に再建され、現在の姿に至っています。
令和4年(2022年)には、豊島氏による創建から700年を記念する大祭が行われ、その際に伝統の田楽舞が奉納されました。
王子神社の入口に立つ大鳥居は、茨城県稲田産の御影石を使い、高さ28尺6寸(約8.6メートル)という都内でも有数の大きさを誇ります。戦災で焼失した神門の跡地に建てられ、神域を守る象徴的な存在です。
社殿前にある狛犬は「子育て狛犬」として有名です。右側の狛犬は父親であり、子供をあやすための鞠を持っています。一方、左側の狛犬は母親で、子供を守る姿勢をとっています。この狛犬たちは夫婦として子育ての守護者とされています。
境内には東京都の天然記念物に指定されている「大イチョウ」があります。このイチョウは神社の創建当時から存在すると考えられ、樹齢は600年といわれています。大正時代の実測では幹の周囲が6.36メートル、高さは19.69メートルと記録されています。戦災で社殿や境内のほとんどが焼失した中で、このイチョウだけが生き残り、現在もその堂々たる姿を誇っています。
平成29年に奉納された本社神輿は、台輪の高さが三尺あり、王子神社の社殿を模した唐破風が特徴です。重量は約550kgあり、胴には伝統的な田楽舞の彫刻が施されています。令和元年の例大祭では天皇陛下の即位を奉祝して初めて本社神輿の渡御が行われました。
また、同年に完成した神輿蔵は、ガラス張りになっており、神輿を間近で見ることができます。
王子神社は、開運厄除や子育大願に御利益があるとされています。特に家族の繁栄や子供の成長を願う参拝者に人気があります。
毎年8月の例大祭では、北区無形民俗文化財に指定されている田楽舞が奉納されます。この舞は中世以来の伝統を受け継いでおり、神社の文化的価値を高めています。
境内には理容業界の神様として知られる「関神社」も祀られています。関神社は江戸時代に「かもじ業者」を中心に奉斎され、その起源は蝉丸公の伝説にあります。また、昭和36年には毛髪報恩と供養のために「毛塚」が建立されました。この塚は理美容業界の信仰の対象となっています。
王子神社の氏子地域は、東京都北区内の以下の地域です:
王子神社へのアクセスは非常に便利です。JR京浜東北線・東京メトロ南北線の「王子駅」から徒歩2分、または都電荒川線「王子駅前停留場」から徒歩3分の場所に位置しています。