日曜寺は、東京都板橋区に位置する真言宗霊雲寺派の寺院です。寺号は「光明山愛染院日曜寺」と称し、御本尊は愛染明王(天弓愛染明王)です。創建は正徳年間(1711年~1716年)に宥慶比丘によって開山され、後に徳川八代将軍吉宗公の第二子である田安宗武公の庇護を受けて再興されました。この寺院は、田安家の祈願所として発展し、宗武公の子孫や松平定信公などによっても篤く信仰されてきました。
日曜寺は正徳年間に宥慶比丘が開山し、小さな堂を営むことからその歴史が始まります。その後、享保年間(1716年~1736年)に田安家初代の田安宗武公によって再興されました。宗武公は愛染明王の力を讃仰し、数々の仏像や仏具を奉納し、寺院を厚く尊崇しました。これにより、寺院は田安家の祈願所として繁栄し、地域社会にも深く根付く存在となりました。
田安宗武公の七男である松平定信公(白河楽翁)もまた、日曜寺を深く尊信していました。定信公は、寺院の山門に「日曜寺」と書かれた扁額を奉納しています。この扁額は独特の草書体で書かれたもので、定信公の雄渾な筆跡が伺えます。裏面には「文化十二年(1815年)七月二日従四位下源定信公」と記されており、この書は板橋区の有形文化財として昭和六十年に登録されています。
日曜寺は、第二次世界大戦の戦災により山門を除く堂宇が焼失しました。田安家から寄進された貴重な寺宝も失われましたが、山門と定信公の扁額だけが奇跡的に残りました。戦後、昭和45年には新本堂が再建され、平成9年には本尊である愛染明王の修復が行われ、令和元年には山門の改修も行われました。これにより、日曜寺は再びその威容を取り戻し、地域における信仰の拠点としての役割を果たしています。
日曜寺の本尊である愛染明王は、「縁結びの仏」として信仰されており、特に縁結びや願いごとの成就を願う多くの人々が参拝に訪れています。また、愛染明王の「愛染」という名前が「藍染(あいぞめ)」に通じることから、染色業者の守護仏としても崇敬を集めています。このため、古くから「板橋の愛染さま」として親しまれ、多くの染色業者が祈願に訪れるようになりました。
日曜寺の本尊である愛染明王像は、縁結びの祈願において強い信仰を集めています。また、染色業者にとっても守り本尊として崇敬され、そのために多くの染色業者がこの寺院を訪れ、信仰を深めてきました。
日曜寺には、愛染明王像の他にも多くの仏像や曼荼羅が奉納されています。その中でも特筆すべきは、松平定信公が奉納した「日曜寺」と書かれた扁額です。この扁額は、定信公の雄渾な筆致が示され、歴史的価値が高いものとされています。
日曜寺の山門は、かつての栄華を物語る重要な建造物です。この山門には、松平定信公が揮毫した扁額が掛けられており、その草書体の筆跡は力強く、定信公の篤信を感じさせます。扁額には「日曜寺」と書かれており、これは文化十二年(1815年)の作です。
日曜寺の境内には、他にも様々な文化財が残されています。特に江戸時代の連歌師であった阪昌周歯髪埋納の碑や、染色組合が奉納した手水鉢、石造物などが見られます。これらは歴史的な価値があり、日曜寺の重要な遺産として保護されています。
日曜寺へのアクセスは非常に便利です。最寄り駅は「板橋本町駅」で、駅から徒歩6分の距離にあります。駅からの道のりは平坦で、参拝者が気軽に訪れることができる場所です。寺院は日中の時間帯に自由に参拝が可能で、近隣住民や観光客にとっても大変訪れやすい寺院です。
日曜寺は、東京都板橋区にある歴史ある真言宗の寺院で、徳川田安家との深い関わりを持ちながら、地域社会に根付いた信仰の場として発展してきました。第二次世界大戦の戦火を乗り越え、今日までその姿を保ち続け、特に愛染明王を祀る縁結びの寺院として多くの参拝者に親しまれています。松平定信公による扁額や、染色業者に崇敬される愛染明王像など、歴史と文化の香りを感じさせる名所として、今後もその信仰は絶えることがないでしょう。