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補陀山 昌林寺

(ふださん しょうりんじ)

昌林寺は、東京都北区西ケ原に位置する曹洞宗の寺院です。長い歴史を持ち、江戸時代には徳川家との深い関わりを持ちながら、今日まで続いています。その壮麗な境内には多くの文化財もあり、歴史愛好家や地元の人々に親しまれています。

昌林寺の歴史

昌林寺の創建年代ははっきりしていませんが、『江戸名所図会』によると、奈良時代に行基が開山したとされています。初めは「補陀落寿院」と呼ばれていましたが、一時期、寺は荒廃し廃寺同然の状態にありました。

室町時代の再建

室町時代の応永8年(1401年)、鎌倉公方である足利持氏によって再建され、寺は再びその姿を取り戻しました。その後、大永5年(1525年)には、現在の「補陀山」の寺号に改められ、昌林寺として知られるようになりました。

徳川家康と昌林寺

天正18年(1590年)には、豊臣秀吉の小田原征伐後、徳川家康が関東に移封され、江戸へ入城しました。この時、多くの徳川譜代の旗本や御家人たちが江戸に移り住み、その中には用水奉行として知られる小泉次大夫吉次も含まれていました。彼は武蔵国荏原郡や豊嶋郡の知行地を持ち、寺もその影響を受けて発展しました。

江戸時代の昌林寺

江戸時代、昌林寺は徳川将軍家の庇護の下にありました。寺は寺社奉行の監督を受け、江戸六阿弥陀巡礼や北豊嶋三十三ヶ所霊場、上野王子駒込三十三ヶ所観音霊場の札所としても信仰を集めていました。この頃、多くの参拝者が訪れ、寺は大いに栄えました。

明治維新後の荒廃と復興

しかし、明治維新後に新政府による廃仏毀釈政策が行われ、昌林寺は大きな打撃を受けました。多くの貴重な宝物や過去帳が失われ、寺の姿は荒廃しました。それでも、太平洋戦争の戦火を避けることができ、戦後の復興によって寺は再びその姿を取り戻しました。

西ヶ原貝塚

昌林寺の境内には、「西ヶ原貝塚」という考古学的にも重要な遺跡が存在しています。この貝塚は、かつての住居跡として知られ、地域の歴史を伝える貴重な資料となっています。

境内の施設

昌林寺の境内には、いくつかの歴史的な建物や施設が存在し、訪れる人々に静かな時間を提供しています。

山門

昌林寺の山門は、寺の象徴的な入り口です。ここをくぐると、歴史を感じさせる静かな境内が広がります。

本堂

本堂は、曹洞宗の中心的な建物であり、参拝者が祈りを捧げる場所です。広々とした空間は、心を落ち着かせるための場所として多くの人々に利用されています。

天真閣

天真閣は、昌林寺のもう一つの重要な施設で、寺の儀式や法要が行われる場所です。この建物も歴史的価値が高く、荘厳な雰囲気を持っています。

文化財

昌林寺には「西ヶ原貝塚」という文化財が存在します。この貝塚は、かつての人々の生活の痕跡を残しており、考古学的にも貴重な資料となっています。地元の歴史や文化を知る上で重要な場所であり、訪れる価値があります。

交通アクセス

昌林寺へのアクセスは比較的便利で、東京都内から簡単に訪れることができます。以下に主要な交通手段をまとめました。

都電荒川線

東京都交通局の都電荒川線を利用する場合、西ヶ原四丁目停留場で下車し、徒歩10分程度で到着します。都電荒川線は風情ある路線で、のんびりとした旅が楽しめます。

JR山手線

JR東日本山手線を利用する場合、駒込駅で下車し、徒歩15分ほどの距離です。山手線を使うと、都内各地からもアクセスしやすいです。

まとめ

昌林寺は、長い歴史を持つ曹洞宗の寺院であり、江戸時代には徳川家との深い関わりを持って発展しました。明治維新や戦争の困難な時期を乗り越え、現在では復興し、歴史と文化を感じる場所として親しまれています。特に、西ヶ原貝塚や歴史的な建物がある境内は、訪れる人々に静かな時間を提供し、歴史と自然の調和を感じさせる場所です。アクセスも良好で、都内の喧騒から離れ、心を落ち着けるには最適な場所です。

Information

名称
補陀山 昌林寺
(ふださん しょうりんじ)

練馬・板橋

東京都