音無親水公園は、東京都北区に位置する区立公園で、広さは約5,000平方メートルに及びます。この公園は日本の都市公園100選に選ばれており、四季折々の美しい自然が楽しめる場所として多くの人々に親しまれています。
音無親水公園は、1988年(昭和63年)に開園しました。元々の石神井川の旧流路を整備して作られた親水公園で、北側は王子本町1丁目、東側は王子1丁目、西側は滝野川2丁目に接しています。所在地は王子本町1丁目で、江戸時代に景勝地として栄えた音無渓谷を再現した公園となっています。
春には桜、夏には水遊び、秋には紅葉と、季節ごとに異なる魅力があり、訪れる人々を楽しませています。
園内の流れは、石神井川の旧流路を整備して再現したもので、自然の川を模した上流、中流、下流のエリアに分かれています。上流では荒々しい岩組や流木を使って渓谷の風景を表現し、中流には玉石を用いてせせらぎの音を楽しむことができます。下流では舟や橋、水車、水門などが配置され、人との関わりを感じさせる風景が広がっています。川床は水遊びができるように整備され、夏場には多くの子どもたちが水辺で遊ぶ光景が見られます。
流れの水は、当初は礫間浄化を利用して浄化された石神井川の水を使用する予定でしたが、川の水質が悪化し、大腸菌などの細菌が処理しきれなかったため、ろ過装置を通じて浄化した上水をポンプで循環させる方式が採用されました。川岸には桜やモミジ、サザンカなどの木々が植えられ、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。かつて音無川の右岸にあったケヤキも写真を基に復元され、歴史を感じさせる風景が広がっています。
園内には、王子七滝の一つである「権現の滝」が再現されており、毎分1トンもの水が流れる壮大な滝の風景が楽しめます。この滝は、かつての自然景観を再現したもので、多くの観光客がその迫力に感嘆しています。
公園の中流には、1907年(明治40年)に竣工した「舟串橋」という木橋が再現されています。この橋は1958年(昭和33年)の狩野川台風によって損傷し、一度は撤去されましたが、公園のシンボルとして復元されました。六か月もの期間をかけて宮大工によって再建されたこの橋は、木造の美しいデザインが特徴で、訪れる人々の目を楽しませています。
音無親水公園の西端には、1930年(昭和5年)に増田淳によって設計された上路式のアーチ橋「音無橋」が架かっています。この橋はアールデコ調のデザインで、御茶ノ水にある聖橋の姉妹橋とされています。渋沢栄一が資金援助を行ったことでも知られています。経年による老朽化が進んでいたため、公園の整備と同時に橋の補修や床版の補強が行われ、アーチの下部には天然石が使用され、橋下を散策する楽しみが増えました。
現在の公園が位置する北区王子付近には石神井川が流れており、現在の王子駅付近より上流2キロメートルまでは「音無川」と呼ばれていました。この名称は、1322年(元亨2年)に王子権現(現在の王子神社)が創建された際、その近くに同名の川が流れていたことに由来しています。この音無川は、紀伊国熊野とのゆかりから徳川吉宗によって命名されたとされています。
かつてこの地域には「音無渓谷」と呼ばれる渓谷があり、「王子七滝」と呼ばれる7つの滝が存在していました。これらの滝は、権現の滝、大工の滝、不動の滝、見晴の滝、弁天の滝、稲荷の滝、名主の滝と名付けられており、音無渓谷の美しい景観を彩っていました。このような豊かな自然景観から、音無渓谷周辺の石神井川は「滝野川」とも呼ばれていました。
江戸時代には、音無川は飛鳥山公園とともに春の桜や夏の楓、滝浴び、秋の紅葉といった四季折々の楽しみを提供する行楽地として栄えました。紀行文「遊歴雑記」には、春の花や能、夏の釣りや水遊び、秋の紅葉、冬の積雪といった四季の風情が詳細に記されています。また、徳川吉宗が桜や楓を植樹したことでも知られ、1739年(元文2年)には幕府によって飛鳥山公園とともに茶店の設置が許可されました。
江戸時代の音無川は、外国人観光客にも人気のスポットでした。特に川沿いの茶屋での食事が人気で、外国人の間でも広く知られていました。1859年に王子を訪れたフランス人植物学者のピエール・ロシエや、1863年以降日本で暮らしたイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトの写真にも音無川と茶屋が写されています。ドイツの考古学者ハインリヒ・シュリーマンも1865年に訪れ、王子を「日本のリッチモンド」と例えました。
音無川の美しい景観は、1923年(大正12年)の関東大震災を契機に始まった宅地化や戦後の経済発展に伴う急速な開発によって失われていきました。石神井川流域の宅地化と水質汚染が進行し、かつての美しい渓流は姿を消してしまいました。1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて治水工事が行われ、流路が直線的になり、コンクリート護岸が整備されましたが、自然環境はさらに悪化しました。
このような状況を改善し、都市景観と水辺環境を再生するため、建設省(現在の国土交通省)と東京都建設局の協力を得て、北区は音無親水公園整備事業を1985年(昭和60年)度より開始しました。
音無親水公園の整備は、「人と川・音無川ルネッサンス」という設計テーマを基に行われました。川の流れを再現するだけでなく、歴史的な建築物や景観を復元し、かつての音無川の風情を取り戻すことを目指しました。この公園は、都会の喧騒の中で自然とふれあえる貴重な場所として、多くの人々に利用されています。