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王子稲荷神社

(おうじ いなり じんじゃ)

王子稲荷神社は、東京都北区岸町に位置する由緒ある神社です。東国三十三国稲荷総司という伝承を持ち、また民話『王子の狐火』や落語『王子の狐』で知られるなど、歴史的・文化的に重要な場所として広く親しまれています。

祭神

王子稲荷神社の主な祭神は、以下の三柱です。

摂社とその歴史

摂社としては「装束稲荷神社」があります。古くは「岸稲荷」とも呼ばれ、荒川流域が広かった時代にその岸辺に鎮座したことから「岸稲荷」と名付けられたと伝えられています。源頼朝が治承4年に奉納を行ったともいわれ、江戸時代には徳川家康が王子稲荷や王子権現、さらには金輪寺に宥養上人を招いたことにより、江戸北域においてその存在が大きくなりました。

狐火とその伝承

王子稲荷神社は「狐火」の伝承でも有名です。江戸時代の書物『江戸砂子』にも記載があり、狐火が多数現れる様子や、農民たちがこの狐火によって田畑の豊凶を占ったという話が残されています。

この狐火は毎年大晦日の夜に現れ、特に王子稲荷社地の東にある古榎(ふるえのき)のあたりに、諸国の狐たちが集まって装束を整えると伝えられています。この伝承に基づき、江戸時代には狐火で有名な名所として知られていました。

狐火の現象

狐火が現れる時間帯は毎年異なり、1~2時間程度の現象とされています。宵や明け方に現れることもあり、遠方から見物に訪れる人もいましたが、一晩中待機すれば必ず見ることができたといわれています。

装束榎と狐火

特に大晦日の夜には、関東全域から狐たちが「装束榎」(しょうぞくえのき)の下に集まり、正装を整えて王子稲荷に参拝するという伝説がありました。この光景は狐火の行列として壮観で、農民たちはその火の数を数えて翌年の農作物の豊凶を占っていたとされています。

歴史的背景と社格

王子稲荷神社は、「関東八州」の稲荷総社としても知られており、元来は「東国三十三国」の稲荷総司の伝承を持っていました。源頼義が康平年間に奥州追討の際に深く信仰し、関東稲荷総司と称したことが記録に残されています。

しかし、寛政の改革時には幕府からの干渉を受け、その後「関八州稲荷の頭領」として知られるようになりました。王子稲荷は江戸市民からも人気が高く、江戸の名所としても広く描かれる存在となりました。

稲荷神社の格式

『新編武蔵風土記稿』には、王子稲荷神社について「当社は王子権現の末社の如く聞こえたれど左にあらず」と記されており、王子権現とは別の格式を持つ独立した存在であることが強調されています。また、江戸時代を通じて、神社としての格式が非常に高く、広く信仰されていたことがわかります。

祭事と文化的イベント

王子稲荷神社では、毎月午の日に縁日が行われ、特に2月の初午の日には多くの参拝者で賑わいます。この時期には、火災除けのご利益があるとされる「火防の凧」が社務所で授与され、境内にも凧を売る店が立ち並ぶ「凧市」が開催されます。この行事は江戸時代に始まり、風が火災を防ぐ象徴として高く上がる凧が、無病息災や商売繁盛のご利益があるとされています。

大晦日の狐の行列

大晦日の夜には、「狐の行列」と呼ばれる特別なイベントが行われます。これは江戸時代の伝承に基づき、歌川広重が描いた浮世絵『王子装束ゑの木大晦日の狐火』を再現したものです。この行列は王子稲荷へ向かい、参拝者を迎える光景が再現されます。

王子稲荷神社と美術作品

江戸時代には、王子稲荷神社は絵画の題材としても多く描かれました。歌川広重は『名所江戸百景』の中で王子稲荷を描き、また三代歌川豊国(国貞)も「王子稲荷初午祭ノ図」という浮世絵を描いています。

文化財

王子稲荷神社には、以下のような文化財が所蔵されています。

王子の狐火とその伝承

王子の狐火(おうじのきつねび)は、東京都北区の王子に現れる狐火にまつわる民話の伝承です。王子稲荷神社は稲荷神の頭領として名高く、同時に狐火の名所としても知られています。かつて王子周辺が田園地帯であった頃、毎年大晦日の夜には関八州(関東全域)の狐たちが集まり、正装を整えて王子稲荷へ参拝する光景が見られました。この際に見られる狐火の行列は壮観で、近隣の農民たちはその数を数えて翌年の豊凶を占ったとされています。

装束榎とその歴史的背景

狐たちが集まる場所として知られる「装束榎」(しょうぞくえのき)は、かつて路傍に立っていた大きな榎の木で、江戸時代には歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれました。この木は明治時代中頃に枯死し、昭和4年(1929年)には道路拡張に伴い切り倒されました。しかし、「装束榎」の碑と「装束稲荷神社」は移設され、現在もその名残を留めています。

民話の歴史的記録と変遷

王子と狐が共に登場する最も古い記録は、寛永期(1624年–1644年)に徳川家光の命により作られた『若一王子縁起』という王子神社の縁起絵巻です。この絵巻には、王子稲荷神社の前で狐たちが集まる様子が描かれており、その伝承が広く知れ渡っていたことがわかります。しかし、寛政3年(1791年)に幕府が王子稲荷神社の社格について問題視し、三十三国稲荷社の総司という伝承は公式には否定されました。この結果、王子の狐にまつわる民話は関八州に限定されたものとなり、現在に至っています。

現代に受け継がれる王子狐の行列

現代でも、地元王子では1993年から毎年、大晦日の夜に「王子狐の行列」というイベントが催されています。この行列では、狐の顔を模したメイクや狐面をつけた人々が装束稲荷から王子稲荷へと参詣します。この伝統的な行事は、王子稲荷神社の歴史と民話を現代に伝える重要な役割を果たしています。

落語『王子の狐』

物語の概要

落語の演目『王子の狐(おうじのきつね)』は、初代三遊亭圓右が上方噺の『高倉狐』を東京に移した作品です。この噺は、人を化かすことで知られる狐が、逆に人間に化かされるというユーモラスな物語です。落語の結末では、狐が騙されることで、観客に一種のカタルシスを与えます。

あらすじ

物語の舞台は、東京都北区王子にある王子稲荷神社です。ここで、狐が人間を化かす姿が描かれています。ある日、王子稲荷に参拝した男が、狐が美女に化ける瞬間を目撃します。男は、狐がこれから誰かを化かそうとしていると見抜き、逆に狐を騙そうと決意します。男は知り合いのふりをして狐に声をかけ、狐も騙されたと思い込みます。二人は近くの料理屋で食事をし、狐はすっかり酔いつぶれてしまいます。その隙に男は狐を置き去りにし、狐は正体を露見させる羽目になります。最後には、男が狐に詫びを入れに行きますが、その一連のやり取りがコミカルに描かれています。

Information

名称
王子稲荷神社
(おうじ いなり じんじゃ)

練馬・板橋

東京都