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三宝寺池

(さんぽうじ いけ)

三宝寺池は、東京都練馬区の石神井公園内に位置し、豊かな自然と歴史的な背景を持つ池です。この池は「江古田・沼袋原の戦い」の戦死者を葬ったとされる「豊島塚」の一部とも考えられており、その起源は古く、池の名称は隣接する三宝寺に由来します。三宝寺池には国の天然記念物である「三宝寺池沼沢植物群落」が存在し、特に昭和10年(1935年)に指定されています。

自然環境と植物群落

三宝寺池には、氷河期からの残存植物とされるミツガシワをはじめ、カキツバタやコウホネ、ハンゲショウなど、北方系の親水性植物が群生しています。この群落は昭和初期に国の天然記念物に指定され、池の中心に浮かぶ中ノ島を中心に広がっています。しかし、都市化の影響で一部の植物、例えばジュンサイやヒツジグサ(和種スイレン)は姿を消してしまいました。

歴史的背景と保護活動

三宝寺池は古くから武蔵野台地からの地下水が湧き出す池として知られ、1959年に人々が散策できる公園として整備されました。しかし、昭和30年代以降、地下水の減少が進み、現在では景観維持のために人工的に地下から水を汲み上げています。池の南には石神井城址碑が立ち、かつては豊島氏が居城を築いた場所であったとされ、歴史的な価値も高い場所です。

周辺の神社と文化的な要素

三宝寺池の周辺には、厳島神社(小社)、宇賀神社穴弁天、水神社(小社)などの神社が点在しています。厳島神社には昭和天皇が皇太子時代に植えた「御手植之松」があり、訪れる人々に親しまれています。また、池の古称は「弁天池」とも呼ばれ、これは池にある厳島神社がかつて三宝寺配下の弁天社だったことに由来します。1996年には「三宝寺池の鳥と水と樹々の音」が環境庁選定の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

保護活動と都市化の影響

三宝寺池では、都市化の影響で自然環境が変化し、特に1950年代後半からヨシなどの植物が利用されなくなったため、植生が大きく変わりました。これに対し、池の貴重な水生植物を保護するための活動が続けられています。池の景観と生態系を維持するために行われているこれらの努力は、三宝寺池の自然環境を未来に残すために重要です。

三宝寺池の伝説と逸話

三宝寺池には、1993年に巨大ワニの目撃証言が相次ぎ、マスコミが連日報道する騒動がありました。罠を仕掛けるなどの対応が行われましたが、最終的には発見されずに終わりました。また、三宝寺池の南には、石神井川の主水源とされたことから、豊島氏が池の南の台地に築城したと伝えられています。

近隣の文化施設と名所

池の南には、かつて武蔵野を支配した豊島氏の居城跡である石神井城址があり、丘陵地には本郭跡や空堀、土塁の遺跡が保存されています。また、園外には氷川神社があり、元々は石神井城の鎮守として創建されました。池の名称の由来になった三宝寺も細道を挟んで隣接しています。

水辺観察園と歴史的な施設

大正期には、日本初の100mプールとして整備され、その後、西武鉄道が「石神井釣り道場」(1955 - 87年)として運営していました。1989年にはこのエリアが水辺観察園として整備され、当時の歴史的な要素を引き継ぎながらも自然環境を守る場所として機能しています。

その他の名所

三宝寺池バス停の近くには「ひょうたん池」があり、三宝寺池の南東端の排水溝の水路を通った水が、途中ひょうたん池に引き込まれた後、石神井池に注いでいます。また、池の北側には大正期に創業した茶屋「豊島屋」や石神井公園サービスセンターがあり、訪れる人々に憩いの場を提供しています。

石神井川との関係

かつて三宝寺池は石神井川の主要な水源として機能していました。石神井川は小平市・小金井市から練馬区内に流れ込み、かつては三宝寺池の湧水により水量を増していました。しかし、昭和30年代後半から湧水の減少が進み、現在では地下水をポンプで汲み上げることで池の水を維持しています。

まとめ

三宝寺池は、歴史と自然が織りなす魅力的な場所です。都市化の影響で湧水量が減少し、環境保護のための取り組みが必要となっていますが、その中でも地域の人々に愛され続けています。豊かな植物群落や歴史的な背景を持つこの池は、訪れる人々に自然の美しさと静けさを提供し続けています。

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名称
三宝寺池
(さんぽうじ いけ)

練馬・板橋

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