乗蓮寺は、東京都板橋区赤塚五丁目に位置する浄土宗別格本山の寺院であり、その名を「東京大仏」で広く知られています。周辺の住民や高島平団地の居住者が初詣に多く訪れ、板橋区内でも特に賑わう寺院の一つです。特に、「東京大仏」という異称で親しまれており、訪れる人々に安らぎを与えています。
乗蓮寺の創建は応永年間(1394年~1427年)に遡ります。了賢無的によって、当時の山中村(現在の板橋区仲町)で人々に教えを伝えるために創建されたと伝えられています。その後、江戸時代初期に板橋区仲宿へと移転し、当時は「孤雲山慶学院乗蓮寺」と称されていました。後に「慶学山乗蓮寺」と改称され、地域の人々から信仰を集めました。
乗蓮寺は、天正19年(1591年)に徳川家康から10石の朱印地を寄進され、格式ある寺院としてその地位を確立しました。また、歴代将軍の信仰も厚く、特に8代将軍徳川吉宗が鷹狩の際に休憩所として利用し、「お膳所」に指定されるなど、歴史的な意義も深い寺院です。
1973年、首都高速道路の建設と国道17号の拡幅に伴い、乗蓮寺は板橋区仲宿から現在の赤塚へ移転しました。この地は、かつて赤塚城の二の丸跡であり、寺の山号も「赤塚山」と改称されました。その後、1977年には関東大震災や東京大空襲などの悲劇的な災害を二度と繰り返さないよう祈念して、「東京大仏」が建立されました。この大仏は高さ13メートル、重さ32トンの青銅製で、鎌倉や奈良の大仏に次ぐ規模を誇ります。
境内に鎮座する東京大仏は、坐像で青銅製の鋳造大仏として日本で4番目の大きさを誇ります。高さは基壇が2メートル、蓮台が2.3メートル、座高が8.2メートルで、合計12.5メートルの堂々たる姿です。東京大仏は1977年に建立され、その荘厳さと優しい表情で、多くの参拝者に親しまれています。
乗蓮寺の本尊は阿弥陀如来像で、安土桃山時代に春日仏師の手によって作られたものと伝えられています。その他、境内には地蔵菩薩像や普賢菩薩像、文殊菩薩像、聖観音菩薩立像、不動明王像など、多くの仏像が安置されています。また、徳川将軍が使用した膳や椀類も寺宝として保管されています。
境内には、区指定の文化財が数多く存在します。中でも、旧藤堂家から寄贈された石像群や、天保飢饉供養塔が注目されます。藤堂家から寄贈された石像は「仙人」「鬼」「菩薩」など、個性的な姿をした彫刻で、昭和42年に乗蓮寺に移されました。また、天保飢饉の供養塔は、江戸末期に発生した天保の大飢饉の犠牲者を供養するために建立されたもので、板橋区の重要文化財に指定されています。
乗蓮寺の境内には、世界的に知られる冒険家であり、国民栄誉賞を受賞した植村直己の墓があります。1984年、彼はアラスカのマッキンリーで消息を絶ちましたが、その偉大な功績を称え、彼を供養する墓が建立されています。
乗蓮寺の山門は、仁王像が立ち並ぶ仁王門です。徳川家の三つ葉葵の紋が彫り込まれたブビンガ材の一枚板で作られた門扉が非常に美しく、訪れる者を荘厳な雰囲気で迎えます。
中門は、江戸時代の部材が一部残る四足門で、かつては徳川将軍の「御成門」として使用されていました。その歴史的価値は今もなお大切にされています。
大正2年から9年(1913年~1918年)にかけて乗蓮寺の住職を務めた山﨑辨榮上人の名号塔も、境内の見どころの一つです。彼は「尊者」として人々の尊崇を集め、令和元年(2019年)には百回忌を迎え、その記念として新たに名号塔が建立されました。
乗蓮寺は武蔵野台地の端に位置し、起伏に富んだ緑豊かな地域に囲まれています。周辺には赤塚城址や松月院、板橋区立美術館、赤塚植物園、都立赤塚公園など、自然と歴史を感じられるスポットが点在しており、板橋十景の一部にも選ばれています。穏やかな休日には、これらの名所を巡る散策を楽しむ人々の姿が見られます。
乗蓮寺への最寄り駅は、都営地下鉄三田線の西高島平駅で、徒歩18分の距離にあります。その他にも、東武東上線の下赤塚駅や成増駅、東京メトロ有楽町線の地下鉄赤塚駅や地下鉄成増駅からも徒歩20分程度で到着可能です。
バスを利用する場合は、東武東上線成増駅北口から赤羽駅西口行きのバスに乗り、「赤塚八丁目」で下車し、徒歩5分で到着します。また、成増駅北口から区立美術館経由の高島平操車場行きのバスを利用し、「区立美術館」で下車すると、徒歩5分で到着します。都営地下鉄三田線高島平駅からも区立美術館経由のバスが運行しており、非常に便利です。