東京都 » 東京都内(23区) » 練馬・板橋

渋沢史料館

(しぶさわ しりょうかん)

渋沢史料館は、東京都北区西ケ原に位置し、渋沢栄一の生涯と功績に焦点を当てた博物館です。この博物館は登録博物館であり、公益財団法人渋沢栄一記念財団が管理運営を行っています。渋沢史料館は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山3つの博物館」の一つとして知られ、多くの訪問者に歴史的価値を提供しています。

渋沢史料館の概要

渋沢史料館は、日本資本主義の父と称される渋沢栄一に関連する資料を展示しています。この博物館は、栄一の後継者である渋沢敬三が1982年(昭和57年)11月15日に設立したもので、渋沢栄一の遺言に基づいて旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘)を財団法人竜門社(現・公益財団法人渋沢栄一記念財団)に寄贈したことに始まります。

日本実業史博物館構想の始まり

渋沢敬三は、渋沢栄一から家督を引き継ぎ、日本の近代化と産業化を支えた人々を称える「日本実業史博物館」の構想を発案しました。この構想は、戦争の影響により実現には至りませんでしたが、収集された資料は国文学研究資料館に「日本実業史博物館準備室旧蔵資料」として保存されています。

飛鳥山公園での発展

1998年(平成10年)3月には、渋沢史料館の新しい本館が開館しました。この新館は、北区飛鳥山博物館および紙の博物館と共に「飛鳥山3つの博物館」として、飛鳥山公園に博物館ゾーンを形成しています。また、2003年(平成15年)11月には、渋沢敬三の「日本実業史博物館」構想を情報技術で実現するための実業史研究情報センターが設置されました。

渋沢史料館の歴史

渋沢史料館の歴史は、1931年(昭和6年)11月11日に渋沢栄一が亡くなり、その後旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘)が財団法人竜門社に遺贈されたことから始まります。しかし、1945年(昭和20年)4月13日の太平洋戦争時の空襲により、建物の大部分が焼失しました。その後、1946年(昭和21年)には財団名を渋沢青淵記念財団竜門社に改称しました。

渋沢史料館の設立と再開発

1982年(昭和57年)には、ついに渋沢史料館が開館しました。その後、1998年(平成10年)3月には、新たな本館が竣工され、再び開館しました。さらに、2003年(平成15年)11月には財団名を渋沢栄一記念財団に改称し、初代理事長には渋沢雅英(渋沢栄一の曾孫、渋沢宗家3代目当主)が就任しました。

施設概要

渋沢史料館は、1998年に新築開館した鉄筋コンクリート造の展示施設で、隣接する紙の博物館および北区飛鳥山博物館と共に運営されています。この施設は、地上2階地下1階建てで、1階には閲覧コーナーとミュージアムショップがあり、2階には常設展示室と企画展示室があります。また、リニューアル工事のため2019年(令和元年)9月1日から休館し、翌2020年(令和2年)11月19日にリニューアルオープンしました。

施設の詳細

施設は、株式会社佐藤総合計画によって設計され、清水建設株式会社が施工を担当しました。1997年に竣工し、延床面積は1,653.13平方メートルです。所在地は、東京都北区西ヶ原2-16-1(飛鳥山公園内)にあり、JR京浜東北線王子駅南口から徒歩5分、東京メトロ南北線西ケ原駅から徒歩9分、または都電荒川線飛鳥山停留場から徒歩4分でアクセス可能です。

アクセス方法

渋沢史料館へは、JR京浜東北線王子駅南口を出て徒歩5分、東京メトロ南北線西ケ原駅からは徒歩9分、または都電荒川線飛鳥山停留場から徒歩4分と、非常に便利な場所にあります。

渋沢史料館は、渋沢栄一の遺産を大切に保存し、日本の歴史と文化に関する深い理解を提供する場として、多くの人々に愛されています。

Information

名称
渋沢史料館
(しぶさわ しりょうかん)

練馬・板橋

東京都