練馬区と板橋区は、東京23区の中で北西に位置し隣接する特別区となります。練馬区の主な見所やスポットとして、「石神井公園」や「としまえん」、「東京ワイナリー」などがあります。
「石神井公園」は、三宝寺池と石神井池の2つの池を中心に自然が多く残っている公園で、三宝寺池の浮島にある沼沢植物群落は国指定文化財に認定されています。
また三宝寺池は、古くから地下水が湧き出る池として武蔵野三大湧水池の一つとして知られていますが、現在では湧き水が減少し枯渇気味になっていることから、深井戸から地下水を供給することで水源を保っています。
「としまえん」は、1926年に部分開園した遊園地で、今まで世界初、または日本初となる数々のアトラクションを生み出してきたことで知られています。今ではメージャーとなっている流れるプールも、世界に先駆けてとしまえんが1965年にリリースしました。
今でも毎年夏になると多くの人でプールが賑わう他、秋口になるとプールをフィッシングエリアとして開放し、都内では珍しいルアーやフライを使った釣りを体験できるため、多くの釣り愛好家が訪れるスポットとしても注目されています。
「東京ワイナリー」は、2014年に設立されたワインの製造を手掛ける東京初のワイナリーです。葡萄の持つポテンシャルを最大限に活かすシンプルな造りを目標としており、設立当初から多くの注目を集めています。
板橋区の主な見所やスポットとして、「石神井川」や「いたばし花火大会」、「日本書道美術館」などがあります。
「石神井川」は、板橋区有数の桜のスポットとして知られ、川の上流から下流まで1000本以上の桜が植樹されています。その桜並木は北区の飛鳥山まで続いており、毎年桜の時期になると多くの見物客で賑わいを見せます。
「いたばし花火大会」は、1951年に埼玉県と東京都の県境(九戸田町と板橋区の境)を分かりやすくするために実施した都県境変更がきっかけとなり誕生しました。花火も年々進化しており、都内の花火としては大きい尺五寸玉(15号玉)や長さ500mにも及ぶナイアガラの滝などが人気を呼んでいます。
「日本書道美術館」は、日本でも数少ない書道に特化した美術館で、1973年に開館した民間の美術館です。平安時代後期の書家(現代で言う書道家)である藤原定信や、江戸時代初期の書家である本阿弥光悦など、著名な作家の作品を所蔵していることで知られています。
財閥の邸宅を整備した庭園で、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘に洋館が建てられ、斜面に西洋庭園、低地には日本庭園を配した。国の名勝に指定されている。東京のバラの名所として親しまれている。 洋館はイギリス的ルネッサンス風の建築ですが、室内には日本様式も巧みに取り入れられている。鹿鳴館なども設計したイギリス出身の建築家ジョサイア・コンドルの作品。1917年に竣工。 日本庭園の作庭者は、設計は近代日本庭園の先駆者・京都の庭匠「植治」こと7代目小川治兵衛。小川は他に京都無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園などの設計で知られる。1919年に竣工。 数少ない大正初期の庭園の原型を留め...»
光が丘公園は、東京都練馬区光が丘、旭町および板橋区赤塚新町に位置する都立の都市公園(総合公園)です。この公園は、練馬区最大の公園であり、光が丘団地に隣接しています。公園の敷地は広大であり、訪れる人々に自然と触れ合える憩いの場を提供しています。 光が丘公園の歴史と背景 光が丘公園の敷地は、かつては戦時中に特攻隊の出撃基地として利用された成増飛行場が存在していました。また、日本初の私立林間学校である神田區武蔵健兒學園(花岡学院)もこの地にありました。戦後は、米軍の家族住宅として利用され、「グラントハイツ」と呼ばれていました。 その後、1973年(昭和48年)に米軍グラントハイツが返還され、そ...»
東京都練馬区春日町および向山に位置する練馬城址公園は、26.66ヘクタールの広大な敷地を持つ都立公園です。この公園は、鎌倉時代から室町時代にかけて築かれた練馬城の歴史を伝える土塁が残されており、歴史的価値が高い場所となっています。 練馬城址公園の概要 歴史的背景と都市計画 練馬城址公園の開発計画は、1957年に都市計画公園として正式に決定されました。しかし、その後の整備は具体化せず、2011年の東日本大震災をきっかけに防災公園としての整備が加速しました。西武鉄道との土地買収交渉が進められ、2020年に長年親しまれてきた「としまえん」の閉園が決定されたことを契機に、跡地の整備が段階的に進め...»
三宝寺(三寳寺)は、東京都練馬区石神井台にある真言宗智山派の寺院で、山号は亀頂山(きちょうざん)です。「石神井不動尊」とも呼ばれ、江戸時代まで多くの末寺を擁し、本寺格としての地位を持っていました。また、関東三十六不動霊場の第十一番札所としても知られ、歴史的建造物が多く、パワースポットやインスタスポットとしても人気があります。 三宝寺と石神井公園の関わり 三宝寺は、石神井公園にある三宝寺池の名前の由来となっています。同池にある厳島神社は、かつて三宝寺に属する弁天社で、池の古称も「弁天池」と呼ばれ、三宝寺と縁が深いものでした。明治時代の神仏分離令により、現在の厳島神社となりました。さらに、三宝...»
武蔵野稲荷神社は、東京都練馬区に位置する歴史ある神社で、地元では「江古田のお稲荷さん」として親しまれています。 概要 創建年代は不明ですが、神社は小高い丘の上に位置しており、この丘は「江古田・沼袋原の戦い」で戦死した豊島氏の郎党を葬った「豊島塚」とされています。この伝承が正しければ、神社の創建はその時期にさかのぼる可能性があります。 武蔵野稲荷神社自体の歴史は比較的古いものの、現在の鳥居や社殿は1970年代に新たに建て替えられたものです。このため、境内の建築物は比較的新しいものとなっています。 信仰とご利益 武蔵野稲荷神社は、古くから地域の人々によって篤く信仰されてきました。特に「商...»
三宝寺池は、東京都練馬区の石神井公園内に位置し、豊かな自然と歴史的な背景を持つ池です。この池は「江古田・沼袋原の戦い」の戦死者を葬ったとされる「豊島塚」の一部とも考えられており、その起源は古く、池の名称は隣接する三宝寺に由来します。三宝寺池には国の天然記念物である「三宝寺池沼沢植物群落」が存在し、特に昭和10年(1935年)に指定されています。 自然環境と植物群落 三宝寺池には、氷河期からの残存植物とされるミツガシワをはじめ、カキツバタやコウホネ、ハンゲショウなど、北方系の親水性植物が群生しています。この群落は昭和初期に国の天然記念物に指定され、池の中心に浮かぶ中ノ島を中心に広がっています...»
練月山(れんげつさん)愛染院 観音寺は、東京都練馬区春日町四丁目に位置する真言宗豊山派の寺院です。この寺院は、その歴史的価値と美しい建築で知られ、参道には昭和15年に建てられた有名な「練馬大根碑」があります。この碑は、練馬区の象徴的な存在であり、地域の歴史を物語っています。 歴史 創建と初期の歴史 練月山 愛染院 観音寺の創建は、永享9年(1437年)にまで遡ります。この寺院は、江戸時代には寺領12石余りの御朱印地を持ち、地域において重要な宗教施設としての役割を果たしていました。 元禄時代の発展 元禄10年(1697年)には、「赤門」として知られる朱塗りの山門が造設されました。この赤...»
練馬区立石神井公園ふるさと文化館は、練馬区の郷土資料館として、2010年に開館しました。都立石神井公園に隣接しており、練馬区の歴史や文化、自然を伝える場として地域に根付いています。この施設は、昭和の街並みを再現した展示や、練馬大根の加工風景を再現する展示など、地域の特色を生かした展示が特徴です。池淵史跡公園が隣接しています。 概要 石神井公園ふるさと文化館は、練馬区の歴史や伝統文化、自然、観光情報を発信する博物館です。以前は石神井図書館地下にあった練馬区郷土資料室が、この文化館に引き継がれました。テーマは「ふ・る・さ・と」とし、来館者が地域とのふれあいを深め、ルーツを探り、実際に展示物に触...»
東京都立 石神井公園は、東京都練馬区にある都立公園で、風致公園としても知られています。公園は、三宝寺池と石神井池を中心に、雑木林や広場、史跡、運動場などで構成されており、豊かな自然と文化的なスポットが共存する場所です。また、三宝寺池の北側には「石神井松の風文化公園」などの区立公園も存在します。 公園の構成 石神井公園は、三宝寺池と石神井池という2つの池を有しており、特に三宝寺池は武蔵野三大湧水池の一つとして知られています。園内には天然記念物の三宝寺池沼沢植物群落が広がり、自然の豊かさを感じられます。施設としては、有料ボート、野球場(3か所)、テニスコート、野外ステージ、広場、売店などがあり...»
東映アニメーションミュージアムは、東京都練馬区東大泉に位置し、東映アニメーション大泉スタジオの1階に設置されたアニメに特化したミュージアムです。2003年3月29日に「東映アニメーションギャラリー」として開館しましたが、社屋の建て替えに伴い一時閉館し、2018年7月28日に現行の名称である「東映アニメーションミュージアム」に改称し、リニューアルオープンしました。 開館の経緯と目的 東映アニメーションギャラリーは、東映アニメーションがこれまでに制作したテレビアニメやアニメ映画に関連する資料を展示する目的で、2003年3月29日にオープンしました。当時、ギャラリーは大泉スタジオ内の特撮ステージ...»
練馬区立美術館は、東京都練馬区貫井に位置し、美術の森緑地内に設立された美術館です。1985年(昭和60年)10月1日に開館し、長い間、区民や美術愛好家に親しまれています。 設立の経緯と目的 練馬区立美術館は、単に美術品を展示・保管する場にとどまらず、地域住民が美術に対する理解を深め、自らが積極的に美術活動に参加できるような「開かれた美術館」を目指して設立されました。練馬区にゆかりのある作家の作品をはじめ、近現代の日本洋画や前衛美術など、多岐にわたる作品を約6,700点(寄託品を含む)収蔵しています。 展示活動だけでなく、区民向けに展示室の貸し出しを行ったり、各種の美術講座を開講するなど、...»
浅間神社は、東京都練馬区小竹町に位置し、地元では「江古田浅間神社」や「茅原浅間神社」とも呼ばれています。木花佐久夜姫命を祀るこの神社は、富士信仰の神社として知られ、古くから地域住民の信仰を集めています。 由緒と歴史 神社の創立は承平元年(931年)に遡ると言われていますが、歴史的にははっきりしていません。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「富士浅間社」と記載され、真言宗豊山派の能満寺が別当寺として関連していました。境内には、「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」と記された歌碑があり、「茅原浅間神社」としても知られています。 伝説と神社の役割 昔、小竹町と江...»
氷川神社は、東京都練馬区氷川台に位置する神社です。地元では「大氷川」とも称され、須佐之男命を主祭神として祀っています。この神社は毎年4月と9月に祭事が行われ、地域の人々に親しまれています。氷川台の町名はこの神社に由来しています。 神社の由緒 氷川神社の創建は、1457年(長禄元年)とされています。渋川義鏡が古河公方の足利成氏との戦いの途上、石神井川を渡ろうとした際に泉を見つけ、武運長久を祈願したことが始まりとされています。もともと「お浜井戸」と呼ばれる場所に鎮座していましたが、1477年(文明9年)の江古田原の戦いによって焼失しました。その後、江戸時代の延享年間(1744年〜1748年)に...»
飛鳥山公園は、東京都北区にある区立公園で、東京都内の桜の名所の一つとして知られています。江戸時代享保年間に行楽地として整備され、明治6年(1873年)3月には日本最初の公園の一つに指定されました。旧渋沢家飛鳥山邸が位置しており、晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)の建物は国の重要文化財に指定されています。 概要 飛鳥山公園は、江戸時代から続く歴史ある公園で、徳川吉宗が享保の改革の一環として整備したことで知られています。江戸時代の当時、桜の名所が限られていたため、庶民が安心して花見を楽しむための場所として設けられました。現在もソメイヨシノを中心に約650本の桜が植えられており、花...»
渋沢史料館は、東京都北区西ケ原に位置し、渋沢栄一の生涯と功績に焦点を当てた博物館です。この博物館は登録博物館であり、公益財団法人渋沢栄一記念財団が管理運営を行っています。渋沢史料館は、飛鳥山公園内にある「飛鳥山3つの博物館」の一つとして知られ、多くの訪問者に歴史的価値を提供しています。 渋沢史料館の概要 渋沢史料館は、日本資本主義の父と称される渋沢栄一に関連する資料を展示しています。この博物館は、栄一の後継者である渋沢敬三が1982年(昭和57年)11月15日に設立したもので、渋沢栄一の遺言に基づいて旧渋沢家飛鳥山邸(曖依村荘)を財団法人竜門社(現・公益財団法人渋沢栄一記念財団)に寄贈した...»
北区飛鳥山博物館は、東京都北区の飛鳥山公園内に位置する博物館で、主に北区の郷土資料を扱っています。「飛鳥山3つの博物館」の中心に位置し、地域の歴史と文化を紹介する重要な役割を果たしています。 概要 北区飛鳥山博物館は、3つのフロアにわたって展示や施設が配置されており、訪れる人々に多様な学びと体験を提供しています。2階部分が入口となっており、ここには受付と講堂、そして奥に企画展示室が設けられています。企画展示は、春と秋の年2回を中心に行われ、特定のテーマに焦点を当てた展示が行われます。また、スポット展示も随時開催されています。 3階には飛鳥山アートギャラリーがあり、地域のアーティストによる...»
紙の博物館は、東京都北区の飛鳥山公園内に位置する、紙に関する専門的な博物館です。運営は公益財団法人紙の博物館によって行われており、紙の歴史や製紙技術、紙の文化に関するさまざまな展示が行われています。 博物館の概要 紙の博物館は、4階建ての建物で構成されており、各階に多彩な展示や施設が設けられています。 2階 入り口が2階にあり、ここから館内に入ることができます。2階には第1展示室があり、「現代の製紙産業」をテーマに、紙パルプの原料や製造工程を紹介する展示が行われています。展示パネルや製造機械の実物、模型などを通じて、現代の紙作りのプロセスを学ぶことができます。 3階 3階には第2展...»
音無親水公園は、東京都北区に位置する区立公園で、広さは約5,000平方メートルに及びます。この公園は日本の都市公園100選に選ばれており、四季折々の美しい自然が楽しめる場所として多くの人々に親しまれています。 公園の概要 音無親水公園は、1988年(昭和63年)に開園しました。元々の石神井川の旧流路を整備して作られた親水公園で、北側は王子本町1丁目、東側は王子1丁目、西側は滝野川2丁目に接しています。所在地は王子本町1丁目で、江戸時代に景勝地として栄えた音無渓谷を再現した公園となっています。 春には桜、夏には水遊び、秋には紅葉と、季節ごとに異なる魅力があり、訪れる人々を楽しませています。...»
静勝寺は、東京都北区赤羽西1丁目(旧豊島郡稲付村)に所在する曹洞宗の寺院です。歴史と文化が息づくこの寺院は、多くの人々に親しまれています。 歴史 稲付城とその由来 静勝寺を含む当地一帯は、かつて「稲付城(いねつけじょう)」と呼ばれる城があったとされています[3]。一説によれば、戦国時代に太田道灌が築城したと伝えられています[3](他にも扇谷上杉氏が築いたとの説がありますが、太田道灌は扇谷上杉氏の家臣であったため、何らかの関与があったと考えられています[4])。 稲付城と太田道灌の関係 太田道灌は、関東地方における軍事的拠点として稲付城を重要視していました。城は現在の静勝寺の周辺一帯に...»
平塚神社は、東京都北区上中里に鎮座する神社であり、郷社としての格式を持っています。平安時代の名将である源義家、源義綱、源義光の三兄弟が祀られており、地域の人々から厚く信仰されています。また、北区立滝野川小学校の「滝小音頭」にも歌詞として登場するなど、地域文化にも深く根付いています。 歴史 平塚神社が鎮座する地は、奈良時代まで「荒墓郷」と呼ばれていました。この地名の由来とも言われる「塚」は、現在でも神社社殿の裏に存在していますが、非公開とされています。しかし、この塚は北区によって「甲冑塚古墳」として登録されており、神社の重要な歴史的遺産です。 平安時代の起源 平塚神社の起源は、平安時代に...»
七社神社は、東京都北区西ケ原にある由緒ある神社です。この神社は、元々無量寺の境内に「七所明神社」として祀られていました。しかし、1793年(寛政5年)に発生した火災によって古い記録が焼失してしまい、創建年代などは不明となっています。翌年、秋分の日に神社は再建され、この日が大祭日として定められ、現在まで続いています。 神社の歴史 神仏分離と移転 1868年(明治元年)、神仏分離令により、七社神社は無量寺から独立し、翌年には一本杉神明宮の地に移されました。この地は、かつて一本杉神明宮があった場所で、千年以上の寿命を持つ杉の木があったことから「一本杉神明宮」と呼ばれていました。その後、神明宮は...»
昌林寺は、東京都北区西ケ原に位置する曹洞宗の寺院です。長い歴史を持ち、江戸時代には徳川家との深い関わりを持ちながら、今日まで続いています。その壮麗な境内には多くの文化財もあり、歴史愛好家や地元の人々に親しまれています。 昌林寺の歴史 昌林寺の創建年代ははっきりしていませんが、『江戸名所図会』によると、奈良時代に行基が開山したとされています。初めは「補陀落寿院」と呼ばれていましたが、一時期、寺は荒廃し廃寺同然の状態にありました。 室町時代の再建 室町時代の応永8年(1401年)、鎌倉公方である足利持氏によって再建され、寺は再びその姿を取り戻しました。その後、大永5年(1525年)には、現...»
城官寺は、東京都北区上中里1丁目に位置する真言宗豊山派の寺院です。歴史と共に多くの信仰を集める寺として知られています。江戸時代には徳川家光に縁のある人物が再興し、現在もその格式ある姿を伝えています。正式名は平塚山(ひらつかさん)安楽院 城官寺です。 城官寺の歴史 城官寺の起源は、筑紫(現在の福岡県)にある安楽寺の僧侶が諸国巡礼の途中にこの地に宿泊した際に、阿弥陀如来像を安置し「安楽院」と称したことに始まります。当初は浄土宗の寺院として運営されていました。 山川貞久と寺院の再興 江戸時代に入ると、山川貞久(城官)という江戸幕府に仕えた鍼灸師が登場します。三代将軍徳川家光が病に倒れた際、山...»
王子稲荷神社は、東京都北区岸町に位置する由緒ある神社です。東国三十三国稲荷総司という伝承を持ち、また民話『王子の狐火』や落語『王子の狐』で知られるなど、歴史的・文化的に重要な場所として広く親しまれています。 祭神 王子稲荷神社の主な祭神は、以下の三柱です。 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 宇気母智之神(うけもちのかみ) 和久産巣日神(わくむすびのかみ) 摂社とその歴史 摂社としては「装束稲荷神社」があります。古くは「岸稲荷」とも呼ばれ、荒川流域が広かった時代にその岸辺に鎮座したことから「岸稲荷」と名付けられたと伝えられています。源頼朝が治承4年に奉納を行ったともいわれ...»
王子神社は、東京都北区王子本町に位置する格式高い神社です。旧称は「王子権現」と呼ばれており、この地域の地名「王子」の由来にもなっています。長い歴史を誇り、多くの人々に崇拝されてきました。 祭神 王子神社の祭神は「王子大神」と総称され、以下の神々を祀っています: 伊邪那岐命 伊邪那美命 天照大御神 速玉男命 事解男命 歴史 創建の正確な年月日は不明ですが、平安時代の康平年間(1058年 - 1065年)に源義家が奥州征伐の際、当地で金輪仏頂を修法し、凱旋の日に甲冑を奉納したという伝説が残っています。 鎌倉時代末期の文保年間(1317年 - 1319年)および元弘年間(...»
岩淵水門は、東京都北区志茂に位置する、現在の荒川と隅田川を仕切る重要な水門です。この水門には、新旧2つの水門があり、旧水門は国の重要文化財に指定されています。旧水門は通称「赤水門」、新水門は通称「青水門」と呼ばれており、それぞれ異なる時代に建設され、異なる役割を果たしています。 岩淵水門の役割 岩淵水門は、荒川上流からの流量が増えた際に、隅田川への洪水を防ぐために設置されています。通常時には水門を開けて、荒川と新河岸川、隅田川をつないでおり、潮の満ち引きによって水の流れが変わります。引き潮の際には荒川から隅田川へ、上げ潮の際には隅田川から荒川へと水が流れる仕組みになっています。 旧水門「...»
東書文庫は、東京都北区栄町に位置する日本初の教科書図書館であり、東京書籍株式会社が運営しています。この図書館は1936年(昭和11年)に東京書籍創立25周年を記念して開設され、正式には「東京書籍株式会社附設教科書図書館 東書文庫」と称されます。東書文庫は、教科書に関する多様な資料を所蔵しており、その歴史的価値とともに、日本の教育文化を支える重要な存在となっています。 開設の経緯と歴史 東書文庫の設立は、東京書籍第3代社長・石川正作の「教科書や教育専門書は、今のうちに蒐集保存しておかなければ、いずれ散逸してしまう」という強い危機感から始まりました。この思いを実現するため、石川は文部省図書局長...»
旧渋沢家飛鳥山邸は、東京都北区西ヶ原の飛鳥山公園内に位置する渋沢栄一の邸宅で、かつて別荘として使用され、後に本邸となりました。この邸宅は「曖依村荘(あいいそそんそう)」と名付けられ、その庭園である「旧渋沢庭園」として整備されています。また、敷地内には大正期に建築された「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」があり、これらの建物は国の重要文化財に指定されています。 歴史と背景 渋沢栄一は、王子製紙の工場を訪問した際に、王子権現付近を散策してその眺望を気に入りました。これがきっかけで、1877年(明治10年)から西ヶ原の土地を購入し、1879年(明治12年)には別荘地として「曖...»
名主の滝公園は、東京都北区岸町一丁目に位置する区立公園で、その歴史は江戸時代にまで遡ります。王子村の名主であった畑野孫八が、自身の屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑の場として一般に開放したのが公園の始まりです。この「名主」という名称は、彼の役職に由来しています。 公園の歴史と変遷 明治時代の発展 明治時代の中期には、この地は貿易商である垣内徳三郎の所有となり、彼の手により大きく整備されました。徳三郎は栃木の塩原の風景を模して庭石を配置し、ヤマモミジなどの樹木を植栽して、渓流を作り出しました。この庭園は一般にも公開され、多くの人々に親しまれました。 昭和時代の変遷と復興 1938年(昭...»
無量寺は、東京都北区西ケ原一丁目に位置する真言宗豊山派の寺院です。その歴史は古く、平安時代後期からこの地に寺院が存在していたことが確認されています。境内には、14世紀頃に作られた板碑が多数残されており、歴史的価値が高い寺院です。 歴史 無量寺の創建年代については不詳ですが、平安時代後期には既に寺院が存在していたことが知られています。江戸時代の慶安元年(1648年)には、江戸幕府から8石5斗余の朱印地を授かり、寺院としての基盤を固めました。さらに、元禄14年(1701年)には、5代将軍徳川綱吉の母である桂昌院が参詣したことでも知られています。 創建当初、無量寺は「長福寺」という寺号で知られ...»
板橋区立熱帯環境植物館は、東京都板橋区に位置する室内植物園です。通称「グリーンドームねったいかん」とも呼ばれ、熱帯植物と海洋生物の展示を通じて、自然環境の魅力を伝える施設です。 歴史と背景 板橋区立熱帯環境植物館は、板橋清掃工場の余熱を活用している施設で、もともと存在していた温室植物園を改修し、1994年(平成6年)9月に開館しました。開館と同時に、板橋区はマレーシアのペナン州政府と「友好提携に関する共同声明」に調印し、国際的な交流と協力の象徴としての役割も果たしています。 その後、2005年からは指定管理者制度が導入され、西武造園、横浜八景島、西武緑化管理の共同企業体が管理を受託してい...»
諏訪神社は、東京都板橋区にある歴史ある神社で、地名を冠して赤塚諏訪神社とも呼ばれています。この神社は地域の人々に愛され、地元の文化や歴史を色濃く反映しています。 創建の歴史と由来 諏訪神社は、室町時代中期から戦国時代前期の頃に創建されたとされています。創建者は赤塚城の城主であった千葉自胤(ちばよりたね)で、信州の諏訪大社から分霊を勧請し、赤塚城の鬼門除けとして祀ったことが始まりと伝えられています。この神社は、下赤塚村の鎮守としても地域を守り続けてきました。 創建時期については、長禄年間(1457年~1460年)とされています。千葉自胤が信州諏訪大社の分霊を迎えたことで、赤塚の地にも諏訪神...»
浮間公園は、東京都北区浮間2丁目と板橋区舟渡2丁目の境に位置する都立の都市公園です。公園の中心には、浮間ヶ池という美しい池が広がっており、その周囲を取り囲むように様々な施設や緑地が整備されています。公園は元々荒川の流路の一部で、大正から昭和にかけての河川改修で流路が変更され、その結果として浮間ヶ池が形成されました。1967年に東京都によって浮間公園が設立され、今日では地域住民や訪問者にとって憩いの場となっています。 浮間公園の歴史 浮間公園がある場所は、江戸時代から明治時代にかけて荒川が大きく南に蛇行していた場所でした。1928年(昭和3年)に荒川が直線化される際、この蛇行部分の一部が残さ...»
見次公園は、東京都板橋区前野町にある板橋区立公園です。東京都区内では数少なくなった湧水による池があり、その池ではボート遊覧が楽しめるほか、カルガモやオオバン、マガモなどの水鳥を観察することができます。また、池のある赤塚溜池公園や浮間公園と並び、地域住民に親しまれている公園のひとつです。 特徴と見どころ 湧水による大きな池 見次公園は、区内でも起伏に富んだ地形に位置し、公園の約45%を占める大きな池がその特徴です。都内でも数少ない自然の湧水をたたえたこの池では、周囲の散策を楽しむことができ、訪れる人々にリラックスした時間を提供します。3月20日から10月31日の土曜日、日曜日、祝日には、手...»
東板橋公園は、東京都板橋区板橋に位置し、石神井川と国道17号の間に広がる住宅街にある中規模の区立公園です。公園は「板橋こども動物園」と「公園」の二つに大きく分かれており、自由に遊べるエリアには野球場もあります。 主要施設と特徴 公園内には、板橋こども動物園、野球場、テニスコートなどの施設が充実しており、芝生公園の周囲には遊具も備えています。1975年に開園した板橋こども動物園は、施設の老朽化に伴う改修のため2018年7月から一時閉園していましたが、2020年12月にリニューアルオープンしました。板橋こども動物園には高島平分園も併設されています。 こども動物園の再オープン 板橋こども動物...»
城北交通公園は、東京都板橋区坂下2-19-1に位置する交通公園です。この公園は、蒸気機関車や都バスの保存展示を行い、ミニSLの運転や鉄道模型の展示などを通じて、交通に関するさまざまな体験を提供しています。特に未就学児向けに自転車や豆自動車、三輪車の無料貸し出しが行われており、子どもたちにとって学びと遊びの場となっています。 公園の概要 城北交通公園では、蒸気機関車やミニSL、都バスの実物が展示されており、来園者は自由に見学することができます。これらの展示は、交通の歴史を学び、実際の車両に触れることで、訪れる人々に貴重な体験を提供しています。 貸出用乗り物 城北交通公園では、未就学児を対...»
板橋区立教育科学館は、東京都板橋区常盤台4-14-1にある科学館です。近隣には板橋区立平和公園があり、旧東京教育大学跡地を利用して設立されました。特別区内では、港区立みなと科学館などと並び、区が科学教育を支援する数少ない事例の一つです。 科学展示 概要 科学館では、身近な日常生活の中の科学をテーマに、さまざまな体験型の常設展示を行っています。展示物には、実際に触れて学べるものや動かして楽しめるものが20種類以上あり、訪れる誰もが気軽に楽しく利用できます。さらに、「みんなの実験室」ではサイエンスショーが行われたり、「ふしぎな部屋」では体の錯覚を体験したり、「地震体験装置」でリアルな地震の揺...»
いたばしボローニャ絵本館は、東京都板橋区常盤台4-3-1に位置する板橋区立の絵本の図書館です。板橋区立中央図書館の1階に併設されており、中央図書館の児童コーナーと同じフロアで繋がっていますが、条例上は中央図書館とは別の独立した図書館とされています。しかし、実際には中央図書館内のボローニャ絵本係が中央図書館の児童サービスといたばしボローニャ絵本館の業務を兼務しています。 館名の由来と所蔵資料 いたばしボローニャ絵本館の名前の由来は、北イタリアのボローニャ市で毎年春に開催される児童書専門の見本市「ボローニャ国際児童図書展」事務局から寄贈された絵本が主な蔵書であることにちなんでいます。当館では、...»
板橋区立美術館は、東京都板橋区赤塚五丁目の赤塚城跡に位置する美術館です。昭和54年5月20日に開館し、東京23区初の公立美術館として広く知られています。 美術館の概要 館内では、江戸時代の狩野派や肉筆浮世絵、古美術作品をはじめ、近代・現代の日本の洋画、日本画、前衛美術など、多岐にわたる作品を収蔵しています。特に豊島区には熊谷守一美術館があるため、板橋区立美術館では池袋モンパルナスに関わる作品を取り上げるなど、練馬区立美術館とともに区部の美術拠点としての役割を担っています。 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展の開催 昭和56年より毎年「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」を開催しています...»
板橋区立郷土資料館は、東京都板橋区赤塚五丁目に位置する区立の博物館で、板橋区の歴史、文化、自然に関する資料を保存し、展示しています。地域の歴史や文化を学ぶ場として、多くの来館者に親しまれています。 館内の構成 郷土資料館は、赤塚城跡や赤塚溜池公園に隣接して建てられています。本館には展示室、閲覧室、収蔵庫が設けられており、さらに敷地内には江戸時代後期に建てられた茅葺古民家である旧田中家住宅も移築されています。この住宅は、前谷津川に面した徳丸本村(現在の板橋区徳丸)にあったもので、田の字型の間取りを持つ伝統的な民家です。 本館は2階建てで、1階には事務所、収蔵庫、常設展示室があり、2階には特...»
植村冒険館は、東京都板橋区にある文化施設で、冒険家・植村直己の偉業を記念して作られた施設です。管理運営は公益財団法人植村記念財団が行っています。植村直己は、世界的な冒険家として知られ、彼の冒険精神を後世に伝えるため、1992年に板橋区蓮根にて開館されました。冒険館は、その後2021年12月に板橋区加賀の複合施設「板橋区立植村記念加賀スポーツセンター」内に移転し、リニューアルオープンしました。 植村直己の冒険と功績 植村直己は1941年に兵庫県に生まれ、1970年に世界最高峰であるエベレストに日本人として初めて登頂しました。さらに、世界で初めて五大陸の最高峰に登頂したことで、彼の名前は冒険界...»
南蔵院は、東京都板橋区蓮沼町に位置する真言宗智山派の寺院で、山号は「寳勝山」と称されています。この寺院は、関東三十六不動霊場の札所(12番目)や豊島八十八ヶ所霊場の札所(34番目)として知られ、古くから霊場巡りの重要な場所として多くの信仰を集めています。 創建と歴史 『北豊島郡誌』によれば、南蔵院の創建年代や開山、開基に関する詳細は不明とされていますが、1662年(寛文2年)に宥照という僧が寺を再興したと伝えられています。また、『新編武蔵風土記稿』にも宥照が開山者であったことが記されています。 江戸時代には、徳川吉宗が鷹狩の際に南蔵院に立ち寄り、休憩したという記録も残っています。1927...»
北野神社は、東京都板橋区に位置する、歴史ある神社です。この神社は板橋区最古の神社であり、長い歴史と豊かな伝統を持ちます。ここでは、北野神社の概要、歴史、そして神事や周辺の文化について詳しくご紹介いたします。 北野神社の概要 北野神社は995年(長徳元年)に創建されたと伝えられています。その起源は、一年先の994年(正暦5年)に疫病が村に流行し、その際に村人が紅梅の木に祈りを捧げたことに始まります。この時、村人たちが病魔退散を祈願し、無事に病から快癒したことが神社創建のきっかけとなりました。この出来事から、梅の木にゆかりのある菅原道真公を祀る京都の北野天満宮から分霊を勧請し、北野神社が創建さ...»
日曜寺は、東京都板橋区に位置する真言宗霊雲寺派の寺院です。寺号は「光明山愛染院日曜寺」と称し、御本尊は愛染明王(天弓愛染明王)です。創建は正徳年間(1711年~1716年)に宥慶比丘によって開山され、後に徳川八代将軍吉宗公の第二子である田安宗武公の庇護を受けて再興されました。この寺院は、田安家の祈願所として発展し、宗武公の子孫や松平定信公などによっても篤く信仰されてきました。 寺院の歴史 創建と田安宗武公の再興 日曜寺は正徳年間に宥慶比丘が開山し、小さな堂を営むことからその歴史が始まります。その後、享保年間(1716年~1736年)に田安家初代の田安宗武公によって再興されました。宗武公は...»
松月院は、東京都板橋区赤塚に位置する曹洞宗の寺院で、山号は萬吉山(ばんきざん)といいます。正式名称は「萬吉山 宝持寺 松月院」で、その歴史的背景や文化財は非常に豊かです。 松月院の歴史 松月院の起源は、千葉氏の武将、千葉自胤が康正2年(1456年)に房総から赤塚城へ移り住んだことに始まります。1492年、自胤はこの地にあった古寺である宝持寺を自身の菩提寺と定め、その後寺名を松月院と改めました。江戸時代になると、松月院は徳川家康から朱印地40石を与えられ、その後も将軍家からの保護を受け、繁栄を遂げました。 高島秋帆と松月院 1841年、砲術家である高島秋帆が現在の高島平で西洋式砲術訓練を...»
乗蓮寺は、東京都板橋区赤塚五丁目に位置する浄土宗別格本山の寺院であり、その名を「東京大仏」で広く知られています。周辺の住民や高島平団地の居住者が初詣に多く訪れ、板橋区内でも特に賑わう寺院の一つです。特に、「東京大仏」という異称で親しまれており、訪れる人々に安らぎを与えています。 乗蓮寺の歴史 創建と移転の歴史 乗蓮寺の創建は応永年間(1394年~1427年)に遡ります。了賢無的によって、当時の山中村(現在の板橋区仲町)で人々に教えを伝えるために創建されたと伝えられています。その後、江戸時代初期に板橋区仲宿へと移転し、当時は「孤雲山慶学院乗蓮寺」と称されていました。後に「慶学山乗蓮寺」と改...»
大泉中央公園は、東京都練馬区大泉学園町九丁目にある東京都立の公園です。運営は東京都公園協会が行っています。歴史ある土地に整備されたこの公園は、現在も多くの人々の憩いの場として親しまれています。 公園の概要 大泉中央公園は、かつてゴルフ場として使用されていたこともあり、広大で緑豊かな景観が広がっています。公園内には、広々とした芝生の広場、運動広場、噴水などが設けられ、訪れる人々に安らぎとリフレッシュの場を提供しています。また、北側は埼玉県との境に接しており、隣接する和光樹林公園とともに、豊かな自然環境を形成しています。 公園の歴史 この場所は、昭和7年(1932年)に東京ゴルフ倶楽部のゴ...»
城北中央公園は、東京都練馬区と板橋区にまたがる都立公園です。城北地区最大の総合公園であり、運動場やテニスコートなどのスポーツ施設が充実しています。地域住民にとっては憩いと運動の場として親しまれています。 概要 この公園は、第二次世界大戦中に防空緑地(空襲被害の拡大を防ぐための緑地)として整備され、その後、公園として開放されました。現在では陸上競技場や野球場、テニスコートなど、スポーツ施設が多く整備された総合レクリエーション公園となっています。 歴史的背景 かつてこの公園の敷地の一部は立教学院の総合グラウンドとして利用されていました。そのため、現在も多くのスポーツ施設が充実しています。ま...»
東京都立赤塚公園は、東京都板橋区に位置する都立公園です。この公園は、風致公園として指定されており、その広大な敷地には歴史的な遺跡や豊かな自然、運動施設が点在しています。赤塚城の旧跡がある城跡地区や、運動施設を中心とした中央地区、自然林に覆われた丘陵地など、さまざまなエリアが高島平団地と首都高速5号池袋線に沿って東西に広がっています。 公園の概要 赤塚公園は、歴史的な背景と自然環境を融合させた公園として、多くの訪問者に親しまれています。公園は赤塚城の旧跡を中心に設計され、風致公園としての特性を生かしつつ、豊かな自然環境と共存しています。これにより、訪れる人々にリラクゼーションと歴史的な学びを...»