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日枝神社(千代田区)

(ひえ じんじゃ)

日枝神社は、東京都千代田区永田町に位置する歴史ある神社で、江戸三大祭の一つである山王祭が行われることで知られています。旧社格は准勅祭社(東京十社)であり、官幣大社に格付けされています。日枝神社は大山咋神(おおやまくいのかみ)を主祭神とし、相殿には国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。

神社の所在地と特徴

正確な所在地は千代田区永田町で、社殿は東向きに配置されています。表参道は国会議事堂方面の東方へ伸びていますが、港区赤坂地区の北東にも隣接しており、外堀通り沿いには大きな鳥居と裏参道が設けられています。これにより、赤坂日枝神社と呼ばれることも多く、近くには赤坂氷川神社も鎮座しています。

日枝神社の歴史

創建と太田道灌による発展

日枝神社の創建は鎌倉時代に遡ります。江戸氏が山王宮を祀ったことに起源があり、直接的には文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城を築城した際、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である仙波日枝神社を勧請したことに始まります。徳川家康が江戸に移封された際には、城内の紅葉山に遷座され、江戸城の鎮守となりました。

徳川秀忠と江戸城外への遷座

慶長9年(1604年)、徳川秀忠の江戸城改築の際に、神社は江戸城外の麹町隼町に遷座され、庶民も参拝可能となりました。社地は家康により5石、元和3年(1617年)に秀忠により100石が与えられ、さらに寛永12年(1635年)には徳川家光からの寄付を加え、600石となりました。

現在地への移転と江戸時代の発展

明暦3年(1657年)の明暦の大火で社殿が焼失しましたが、万治2年(1659年)に将軍家綱の命により、現在の赤坂の地に遷座しました。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置しており、江戸城の守護としての役割も果たしていました。

明治時代の変遷と官幣大社への昇格

明治元年(1868年)の東京奠都の際には准勅祭社に指定され、その後の明治3年(1871年)に東京府の管轄となりました。官幣社への昇格を求める声が強まり、明治14年(1881年)に日枝神社は官幣中社に昇格し、さらに大正元年(1912年)には官幣大社に昇格しました。

戦後の復興と現在の社殿

昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失しましたが、昭和33年(1958年)に再建されました。現在の社殿はこの時に建てられたもので、伝統と現代が融合した美しい姿を保っています。

日枝神社の年表

江戸時代

明治時代以降

文化財

国宝

日枝神社には、以下の太刀が国宝として指定されています。

重要文化財

また、以下の太刀が重要文化財に指定されています。

氏子地域

日枝神社の氏子地域は、東京都千代田区と中央区、港区、新宿区の一部に及びます。具体的には以下の地域が該当します。

交通アクセス

日枝神社へのアクセスは以下の通りです。

Information

名称
日枝神社(千代田区)
(ひえ じんじゃ)

東京駅・丸の内

東京都