有楽町センタービルは、東京都千代田区有楽町二丁目に位置する複合商業施設です。銀座駅や有楽町駅に近接しており、東京都内でも屈指の便利なロケーションを誇ります。このビルは「有楽町マリオン (Yurakucho Mullion)」という愛称で親しまれており、都心でのショッピングや映画鑑賞など、多様な楽しみを提供しています。
有楽町センタービルが建つ敷地には、かつて南町奉行所がありました。その後、旧朝日新聞東京本社、旧日本劇場(日劇)、そして旧丸の内ピカデリーが存在していました。このため、朝日新聞社、東宝、松竹の3社が共同でこの敷地の所有権を持ち、1984年に「有楽町マリオン」として再開発されました。管理は3社が共同出資して設立した「有楽町センタービル管理株式会社」が行っています。
「マリオン (Mullion)」という愛称は、建築用語で「方立(ほうだて)」を意味します。これは、ガラス窓を縦に仕切る建具を指し、有楽町センタービルの巨大なガラス建築を縦に2分割した構造からこの名前がつけられました。
当初は西武百貨店(当時の株式会社有楽町西武)が全館を借り、都心でのフルライン都市型百貨店を展開する予定でした。しかし、阪急東宝グループの一員である阪急百貨店が対抗して出店を決定したため、百貨店2館が併存する形となり、1984年10月6日に有楽町西武と有楽町阪急を核店舗として「有楽町マリオン」がオープンしました。
バブル景気の崩壊後、セゾングループの解体を経て、2010年12月25日に有楽町西武が閉店しました。その後、跡地には朝日新聞と松竹の選考を経て、JR東日本系のファッションビル「ルミネ有楽町」が2011年10月28日に開業しました。ルミネとしては初の駅ビル以外への出店であり、有楽町阪急もリニューアルされ、「阪急メンズ東京 (Hankyu MEN'S TOKYO)」として2011年10月15日にオープンしました。
有楽町マリオンの開業当初、ビル内にはTOHOシネマズ日劇、丸の内ピカデリー、丸の内ルーブルの3つの映画館が入居しており、これらは大規模なスクリーンと座席を備えたロードショー館として人気を博しました。しかし、2014年に丸の内ルーブル、2018年にはTOHOシネマズ日劇が閉館し、日本最多の座席数を誇った有楽町マリオンの映画館はその役割をTOHOシネマズ日比谷に譲りました。その後、ヒューリックホール東京やコニカミノルタプラネタリアTOKYO、そしてドルビーシネマ館「丸の内ピカデリー ドルビーシネマ」などが新たにオープンし、エンターテインメントゾーンとして再生されています。
有楽町マリオンの象徴ともいえる「マリオン・クロック」は、1984年の開業時に数寄屋橋側のファサード中央部に設置されました。このからくり時計は「ハッピーな待ち合わせの場」として知られ、約40年間、マリオン周辺の顔となっています。乃村工藝社が設計し、服部セイコー(現:セイコータイムクリエーション)が制作を担当したこの時計は、国内のからくり時計ブームのきっかけとなり、その影響は全国に広がりました。
1期ビルは地上8階、地下2階からなる構造で、以下のような施設が入居しています。
2期ビルは地下2階から地上4階までの構造で、以下のような施設が入居しています。
有楽町マリオンは、数寄屋橋阪急(現:東急プラザ銀座)や有楽町そごう(現:ビックカメラ有楽町店)といった近隣の商業施設と連携し、銀座エリア全体の魅力を高める役割を果たしています。また、マリオン・クロックをはじめとする施設内外のアートワークやイルミネーションは、訪れる人々に特別な時間を提供し続けています。
有楽町マリオンは、その長い歴史とともに、変化を遂げながらも多くの人々に愛され続けています。今後も、時代の流れに合わせたリニューアルや新しい店舗の導入を通じて、東京都心のランドマークとしての地位を確固たるものにしていくことでしょう。