柳森神社は、東京都千代田区神田須田町に位置する神社で、古くから多くの人々に親しまれてきました。その通称は「倉稲魂大神」で、神田の街並みの中にひっそりと佇むこの神社は、歴史と伝統に彩られた特別な場所です。
柳森神社は、室町時代に太田道灌が江戸城の鬼門を守るために京都の伏見稲荷大社を勧請し、創建したと伝えられています。この神社は、椙森神社や烏森神社と共に「江戸三森」の一つとして名を馳せており、その歴史的な価値は計り知れません。また、境内には福寿神祠があり、これは江戸時代に徳川綱吉の生母である桂昌院が江戸城内に建立したものと言われています。
柳森神社の主祭神は「倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)」で、豊穣や商売繁盛を祈る多くの信仰を集めています。
境内には複数の摂社や末社が祀られており、それぞれに異なる神々が奉られています。これらの神々もまた、地域の人々から深く信仰されてきました。
こちらには「伊弉冉命(いざなみのみこと)」「稚産霊命(わくむすひのみこと)」「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」「誉田別命(ほんたわけのみこと)」が祀られています。これらの神々は、それぞれが異なるご利益をもたらすとされており、多くの参拝者が訪れます。
福寿神祠は「福寿神(徳川桂昌院殿)」を祀っており、徳川綱吉の母である桂昌院とのゆかりが深い祠です。江戸時代の歴史とともに、その祠の存在は今日まで受け継がれています。
金刀比羅神社には「大物主神(おおものぬしのかみ)」が祀られており、航海や漁業の守護神として信仰を集めています。
水神厳島大明神と江島大明神も境内に祀られており、水に関連するご利益を求める参拝者に人気があります。
秋葉大神には「迦具土神(かぐつちのかみ)」が祀られており、火防の神として信仰されています。
明徳稲荷神社では「宇気母智神(うけもちのかみ)」が祀られており、農業や食物の神として信仰されています。
最後に、富士宮浅間神社には「木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」が祀られており、美しい自然や子孫繁栄のご利益をもたらすとされています。
柳森神社の創建は、長禄2年(1458年)にまで遡ります。この年に、太田道灌が江戸城の鬼門除けとして、伏見稲荷大社から宇迦之御魂を勧請し、創建したとされています。その後、万治2年(1659年)には、現在の場所へ移転し、江戸の守り神としてその役割を果たしてきました。
大正12年(1923年)の関東大震災では、元禄期に創建された社殿などが全焼しましたが、昭和5年(1930年)に再建されました。また、大東亜戦争中の空襲により一部が損傷を受けましたが、昭和29年(1954年)には鎮座500年を記念して改修が完了し、現在の姿となっています。
昭和59年(1984年)には二度にわたる放火により神楽殿や拝殿、本殿などが半焼しましたが、昭和61年(1986年)の春には修復が完了し、現在の形で存続しています。
柳森神社には、千代田区指定有形民俗文化財として「力石群」が現存しています。力石とは、一定の重量を持つ大小の円形または楕円形の石で、若者たちが力試しに使用したものとされています。現在、都市化が進む中で、柳森神社に残る力石は、江戸・東京の若者たちの生活や娯楽を理解するための貴重な資料として位置付けられています。
柳森神社の敷地内には、かつて富士塚が存在していました。現在は現存していませんが、入口の内側、敷地の角にある火成岩や碑が、その名残を伝えています。