東京宝塚ビルは、東京都千代田区有楽町に位置する複合高層ビルで、映画館、劇場、オフィスから構成されています。このビルは、都心の一等地にあることから、限られた敷地を有効に活用するため、映画館を地下に、劇場を低層部に配置し、高層部をオフィススペースとして最大限に活用する設計がなされています。この工夫により、劇場・映画館・オフィスの3つの異なる機能を一つの建物内に集約することができました。
東京宝塚ビルの設計においては、限られたスペースを有効に使うための工夫が随所に見られます。例えば、映画館を地下2階に設置し、劇場を地上1階から6階までの低層部に配置しています。この低層部は、道路境界からセットバックされ、最大限のオフィススペースを確保するために、高層部に12フロア分のオフィス空間を設けました。さらに、オフィス用エレベーターを効率的に配置することで、劇場の観客動線とオフィス利用者の動線を分け、快適な利用が可能となっています。
このビルの設計には、メガストラクチャー構造が採用されており、多用途大空間の重層化が実現されています。これにより、劇場と映画館の遮音対策も十分に配慮され、快適な環境が保たれています。さらに、ビルの外装には「ライジング・ステップ」というコンセプトが取り入れられ、宝塚歌劇団の若さと躍動感、上昇の勢いを表現しています。
東京宝塚ビルの外装は、宝塚歌劇団のイメージを反映したデザインとなっており、淡いパープル色のタイルと柔らかなベージュ色の塗装が施されています。このカラーリングにより、ビル全体に優しさや華やかさ、そして気品が表現されています。また、劇場ファサードは、彫りの深いリズムの壁面構成が特徴で、「幕」をイメージさせるデザインとなっています。ビル全体がプロセニアム・アーチのように見える設計が、劇場の雰囲気をさらに引き立てています。
東京宝塚ビルの地下2階には、日比谷スカラ座1・2という2つの映画館が設けられていました。2005年には東宝会館地下1階にあったみゆき座が閉館し、その名称をスカラ座2が継承しました。これにより、スカラ座1は再び「スカラ座」として知られるようになりました。2009年には、これらの映画館が「TOHOシネマズみゆき座」と「TOHOシネマズスカラ座」に改称されました。
2018年には、東京ミッドタウン日比谷に「TOHOシネマズ日比谷」が開業したのに伴い、これらの映画館は改装され、「TOHOシネマズ日比谷」の一部として統合されました。この結果、スカラ座は「TOHOシネマズ日比谷 SCREEN12」、みゆき座は「TOHOシネマズ日比谷 SCREEN13」として新たに生まれ変わりました。
東京宝塚劇場は、東京宝塚ビルの1階から6階部分に位置する劇場で、2001年1月1日に開業しました。この劇場は、宝塚歌劇団専用の劇場として設計されており、舞台のサイズや設備は宝塚大劇場と同等のものが使用されています。ただし、客席数は約500席少なくなっています。劇場のデザインは、宝塚らしい華やかさを持ちつつ、旧劇場の記憶を継承する要素も取り入れられています。
2011年3月3日には、東京宝塚劇場の来場者数が1,000万人を達成し、記念セレモニーが行われました。リニューアルから10年間で、通算公演回数は約4,800回、通算客席稼働率は100%以上を記録しており、その人気の高さが伺えます。2022年には客席リニューアル工事が行われ、客席数が14席増やされ、合計2,079席(車いすスペース除く)となりました。
東京宝塚ビルの7階から18階はオフィスフロアとして使用されており、1フロアあたり約340坪の貸室空間が提供されています。ビル開業当初は不況の時代でありながら、すべてのオフィスフロアが開業前に埋まるという盛況ぶりでした。オフィスフロアには、従来よりも一回り大きい3.6Mモジュールが採用され、自由度の高いレイアウトが可能となっています。また、建物の南東角にはリフレッシュコーナーが設けられており、都市のパノラマを楽しむことができます。
東京宝塚ビルの建設は2000年12月14日に竣工式が行われ、同年12月16日に地下1階で「日比谷スカラ座1・2」が開場しました。スカラ座1のこけら落としとして『シックス・デイ』が上映されました。2001年1月1日には、東京宝塚劇場がオープンし、同年7月20日にはスカラ座1で『千と千尋の神隠し』が封切られ、半年にわたるロングランを記録しました。
その後、2005年には日比谷みゆき座が閉館し、スカラ座2がその名称を継承しました。2006年には映画館の運営がTOHOシネマズに移管され、2009年には「TOHOシネマズスカラ座」「TOHOシネマズみゆき座」に名称が変更されました。2018年2月23日には、スカラ座で『祈りの幕が下りる時』、みゆき座で『パディントン2』が上映され、それぞれの映画館は営業を終了しました。その後、これらの映画館は東京ミッドタウン日比谷に統合され、新たな施設として生まれ変わりました。
東京宝塚ビルは、その優れたデザインと機能性から、2001年度のグッドデザイン賞を受賞しています。また、同年にはJCDデザイン賞で奨励賞も受賞しており、その建築的価値が高く評価されています。
東京宝塚劇場は、1934年1月1日から1997年12月29日まで東京都千代田区有楽町に存在していた劇場で、宝塚歌劇団の東京における本拠地であり、東宝が運営していた映画館でもありました。別名「宝塚会館」として知られており、その跡地には2代目の劇場を保有する東京宝塚ビルが建設されています。
東京宝塚劇場の設立は、1932年12月1日に行われた地鎮祭から始まりました。阪急電鉄の創設者である小林一三が設立した株式会社東京宝塚劇場が建設を主導し、竹中工務店が設計と施工を担当しました。建築設計においては、鷲尾九郎が平面設計を、石川純一郎が立面設計を、青柳貞世が構造設計を担当し、わずか1年5か月の突貫工事で1933年12月31日に完成しました。翌年の1934年1月1日には劇場が開場し、宝塚少女歌劇団が東京に進出しました。
開場当初から、東京宝塚劇場は東宝直営の劇場として、商業演劇、歌手芝居、ミュージカルなどの中心地として機能しました。宝塚歌劇の公演は年に数回行われ、改築前の数年間は年間7か月の公演が行われていました。また、1956年から1972年までの期間に、NHK紅白歌合戦の会場としても使用され、多くの注目を集めました。
第二次世界大戦中、東京宝塚劇場は日本劇場と共に風船爆弾工場として使用されました。しかし、終戦後の1945年12月24日、劇場はGHQによって接収され、「アーニー・パイル劇場」と改名されました。この劇場名は、1945年4月18日に沖縄県伊江島で殉職した従軍記者アーニー・パイルにちなんで命名されました。この期間、日本人は観客として劇場に立ち入ることが禁止されました。
1955年1月27日、劇場の接収が解除され、再び「東京宝塚劇場」として活動を再開しました。その年の4月15日には、星組公演『虞美人』が上演され、劇場の再スタートを飾りました。しかし、1958年2月1日には、東宝ミュージカル『アイヌ恋歌』の公演中に火災が発生し、場内設備の一部が焼失し、死者3名、負傷者25名を出すという悲劇が起こりました。
東京宝塚劇場は、関東大震災の復興期におけるモダニズム建築の代表作の一つとされていましたが、老朽化が進行したため、1997年12月29日に一旦閉場されました。翌1998年1月からは建替え工事が開始され、2001年1月1日に新築の劇場がオープンしました。なお、改築中の期間中、宝塚歌劇団は帝国劇場で2か月間の公演を行い、その後、TAKARAZUKA1000days劇場の開場と共に東京での通年公演が開始されました。
新築オープン後の杮(こけら)落とし公演は、当時月組を率いていた真琴つばさ主演の『いますみれ花咲く/愛のソナタ』でした。新しい劇場は、旧劇場の伝統を引き継ぎつつ、現代的な設備と共に新たなスタートを切りました。
1934年1月1日に開場した東京宝塚劇場のメインホールは、宝塚大劇場よりも舞台開口部が5尺高く設計され、日本最大規模のプロセニアム・アーチを備えていました。客席は三層構造であり、中二階には常設の投光室・調光室が設けられていました。また、レビュー劇場として設計された背景もあり、近代的な舞台照明を備えた初の劇場としても注目されていました。
東京宝塚劇場の舞台設備は、日本でも最大級のものでした。プロセニアムアーチの高さは30尺、幅は78尺、舞台の奥行きは51尺、盆の直径は48尺、吊物は50本、迫りは3個といったスペックを誇り、当時の舞台設備としては最先端のものでした。
東京宝塚劇場の4階には、日比谷スカラ座という映画館が位置していました。この映画館は、1940年4月16日に開業し、東宝四階劇場として知られていました。戦後、劇場がアーニー・パイル劇場となった後も、日比谷スカラ座は数々のヒット作や大作を上映する劇場として多くの映画ファンに親しまれました。
日比谷スカラ座では、数多くの映画が上映されましたが、代表的な作品としては1956年の『戦略空軍命令』や、1961年の『ティファニーで朝食を』、1967年の『風と共に去りぬ』などが挙げられます。1998年1月18日、立て直しのため一旦閉鎖され、その後の運命は東京宝塚劇場と同様に、新しい施設への変革を迎えました。
東京宝塚ビルへのアクセスは非常に便利です。JR山手線・京浜東北線、東京メトロ有楽町線の有楽町駅(日比谷口)から徒歩5分の距離にあり、また、東京メトロ日比谷線、千代田線、都営地下鉄三田線の日比谷駅(A5出口またはA13出口)からも徒歩圏内です。都心の主要な交通機関からのアクセスが良好で、多くの利用者にとって便利な立地となっています。