桜田門は、江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つで、桜田堀と凱旋堀の間に位置しています。桜田門は、江戸城の三十六見附の一つとして、江戸時代に非常に重要な役割を果たしてきました。1961年には「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定され、特別史跡「江戸城跡」の一画を占める場所となっています。
桜田門は江戸城内の内堀に位置し、古くからこの地域は桜田という地名で呼ばれていました。江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在し、一般的に「桜田門」と呼ぶ場合には、外桜田門を指します。この門は、江戸時代初期から重要な出入り口として利用されてきました。
桜田門は、安政7年(1860年)に起きた大老井伊直弼の暗殺事件、通称「桜田門外の変」の舞台としても知られています。この事件は、幕末の日本における政治的な転換点となり、江戸幕府の権威が大きく揺らぐきっかけとなりました。井伊邸は現在の憲政記念館の付近にあり、桜田門から西に約500メートルのところに位置していました。
さらに昭和7年(1932年)には、昭和天皇の暗殺未遂事件が桜田門で発生しました。この事件は「桜田門事件」として広く知られており、昭和時代においても桜田門は歴史的な事件の舞台となり続けました。
桜田門の正面には現在、警視庁の庁舎があり、このことから警視庁は「桜田門」という隠語で呼ばれることもあります。国道1号を挟んで、法務省の赤レンガ棟も隣接しており、この地域は日本の政治と行政の中心地としての役割を果たしています。
桜田門は、高麗門と渡櫓門からなる二重構造で、桝形を形成しています。元々は柵戸仕立の門でしたが、現在の桝形門に改築されました。門は、1663年(寛文3年)頃に建築されたもので、大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損しましたが、その後、鋼鉄土蔵造りに改修されました。
1961年、桜田門は「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財に指定されました。この指定には、高麗門と櫓門の二つの門が含まれています。桜田門は、江戸時代中期の城郭建築を代表する遺構として、その価値が高く評価されています。
江戸城は、東京都千代田区千代田に位置する日本の歴史的な城で、江戸時代には江戸幕府の政庁および徳川将軍家の居城でした。1590年に徳川家康が江戸城に入城して以降、江戸幕府の中心として発展し、大規模な拡張工事が行われました。その後、およそ260年間にわたり、幕府の政庁として機能しました。
1868年の戊辰戦争で江戸城が新政府の東征軍により開城され、徳川家は江戸城から退出しました。その後、江戸城は「皇居」として使用され、明治天皇の行幸に伴い一時的に「東京城」と改名されました。現在では、皇居としての役割を果たし、吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっています。
江戸城の遺構の一部は、現在でも桜田門や田安門、清水門などが残されており、これらは国の重要文化財に指定されています。また、富士見櫓や伏見櫓、百人番所などの建物も現存しており、歴史的な価値が高い建造物として保存されています。
桜田門へは、東京地下鉄(東京メトロ)の有楽町線桜田門駅からアクセスできます。また、霞ケ関駅や日比谷駅、永田町駅からも徒歩圏内でアクセスが可能です。桜田門周辺は、日本の政治と歴史が交錯する場所であり、多くの観光客や歴史愛好者が訪れています。
桜田門へは、東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線の霞ケ関駅からも非常に近く、都営バスの「警視庁」バス停からもアクセス可能です。これらの交通手段を利用して、桜田門の歴史的な価値をぜひ体感してください。