二重橋の誤認と「二重橋」の由来
皇居の正門(旧江戸城西の丸大手門)は、通常は閉じられており、特別な行事や国賓来訪時以外は使用されません。皇居の入口には、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で造られた奥の「正門鉄橋」があります。外から見ると、皇居前広場→正門外石橋→正門→正門内鉄橋→中門→宮殿東庭→宮殿というルートになります。
「二重橋」とは、正しくは奥にある正門鉄橋のことを指しますが、手前の正門石橋も含めて二重橋と総称されることが多いです。
奥の鉄橋は、かつて江戸城西丸の下乗橋があった場所に架かっています。下乗橋は、青銅製の擬宝珠が欄干に付いた木造橋で、濠が深かったため、橋桁を上下2重にして強度を上げた構造でした。現在の鉄橋は二重構造ではないため、この呼び名に混乱が生じています。
手前の正門石橋は、二連アーチ構造の美しい石橋で、俗称「眼鏡橋」とも呼ばれます。この石橋が二重橋と誤認されることが多いですが、正確には奥の正門鉄橋が「二重橋」と呼ばれています。
二重橋の沿革
- 1602年(慶長7年): 『別本慶長江戸図』には西の丸大手橋が描かれておらず、二重橋は確認できません。
- 1608年(慶長13年): 『慶長江戸図』に西の丸大手橋と下乗橋が描かれています。
- 1614年(慶長19年): 江戸城西の丸が改修され、下乗橋(木造橋)が架けられました。
- 1624年(寛永元年): 柱の銘によるとこの年に西の丸大手橋(木造橋)が架けられました。
- 1887年(明治20年)12月8日: 西の丸大手橋が花崗岩でできたアーチ橋(石橋)に架け替えられました。
- 1888年(明治21年)3月26日: 下乗橋が初代鉄橋に架け替えられました。設計はドイツ人ヴィルヘルム・ハイゼが担当し、橋はドイツで鋳造されました。
- 1922年(大正11年): 二重橋で爆弾を使った自殺事件が発生しました(1922年の二重橋爆弾事件)。
- 1924年(大正13年): 二重橋付近で朝鮮独立運動家による爆弾投擲事件が発生しました(1924年の二重橋爆弾事件)。
- 1948年(昭和24年)1月1日: 1925年以来禁止されていた一般参賀が再び許可され、2日間で13万人が参賀しました。
- 1954年(昭和29年)1月2日: 皇居一般参賀時に二重橋で将棋倒しが発生し、16名が死亡しました(1954年の二重橋事件)。
- 1964年(昭和39年): 皇居宮殿(新宮殿)建設を前にして、現在の二代目鉄橋に架け替えられました。
- 1968年(昭和43年): 新宮殿が吉村順三の設計で竣工しました。
「二重橋」の正式な名称と一般的な呼称
「二重橋」という名称は正式なものではなく、一般に用いられてきた通称に過ぎません。宮内庁や環境省も「二重橋」は正門鉄橋のことを指すとしながらも、2つの橋の総称としても用いられると説明しています。
「二重橋事件」として知られる事故は、すべて門の外側にある石橋で発生しており、正門鉄橋では起こっていません。
ローマ字表記では通常「Nijubashi」が用いられますが、道路標識には「Nijyubashi」と表記されているものも多く存在しています。
二重橋へのアクセス
- 東京地下鉄千代田線: 二重橋前駅
- 東京地下鉄有楽町線: 桜田門駅
- 都営地下鉄三田線: 日比谷駅
- JR線: 有楽町駅、東京駅