竹橋は、東京都千代田区北の丸公園内に位置し、清水濠の上に架かる歴史的な橋です。この橋は、一ツ橋一丁目と北の丸公園を結び、現在では交通の要所として多くの人々に利用されています。
竹橋は、徳川氏の関東入国以前からすでに存在していたとされ、その歴史は非常に古いものです。橋の名称には二つの説があります。一つは、竹を編んで橋を作ったことから「竹橋」と呼ばれるようになったという説です。もう一つは、後北条家の家臣である在竹四郎がこの付近に住んでおり、その名前に由来して「在竹橋」と呼ばれていたものが変化したという説です。
江戸時代の「別本慶長江戸図」には、竹橋は『御内方通行橋』として記されており、主に大奥への通路として使用されていたことがわかります。竹橋は、その重要な位置と役割から、江戸時代を通じて多くの人々にとって重要な橋であったと考えられます。
明治時代には、竹橋の西詰に近衛砲兵大隊竹橋部隊がありました。この部隊は、1878年(明治11年)8月23日に発生した竹橋事件で知られています。西南戦争後の処遇を巡る不満から、竹橋部隊の兵士たちが武装蜂起し、この事件は日本の近代史における重要な出来事として記録されています。
現在、竹橋は皇居の水堀や神田オフィス街、首都高速道路の竹橋ジャンクションに囲まれた位置にあります。内堀通り竹橋交差点と千鳥ヶ淵交差点を結ぶ代官町通りの一部を形成し、交通量の多いエリアです。また、竹橋の両詰にはパレスサイドビルディングや毎日新聞東京本社、丸紅本社ビル(2021年春に新たに竣工)があり、さらに東京国立近代美術館も隣接しています。これにより、竹橋は歴史と現代が融合する場所として、多くの人々に親しまれています。
竹橋の東詰には、東京地下鉄(東京メトロ)東西線の竹橋駅があり、交通の便も非常に良好です。この地域はオフィス街としても知られており、多くのビジネスマンや観光客が行き交う場所となっています。