法蓮寺は、東京都品川区旗の台3丁目に位置する由緒ある寺院です。旧本山は大本山池上本門寺であり、中道不二庵法類・中延法縁縁頭寺としてその歴史を受け継いでいます。この寺は鎌倉時代に地元豪族であった荏原氏によって創建され、源氏ゆかりの寺として知られています。
法蓮寺の歴史は、文永年間(1264年~1274年)にさかのぼります。この時期、当地を治めていた荏原義宗は、源義家の末裔とされ、日蓮宗に深く帰依しました。義宗の息子である徳次郎は、日蓮の高弟であった日朗の弟子となり、その後、朗慶上人として法蓮寺を開山しました。法蓮寺は、荏原氏の館跡に建立され、隣接する旗岡八幡神社の別当寺としても重要な役割を果たしました。
江戸時代に入ると、旗岡八幡宮は徳川幕府第二代将軍・徳川秀忠の祈願所となりました。また、法蓮寺の39世住職である日詮上人は、江戸城大奥でも評判の高い僧侶であったことが知られています。この時代には、法蓮寺は地元の信仰の中心として、地域に根ざした寺院として発展しました。
法蓮寺は荏原七福神のひとつ、商売繁盛や福徳をもたらす恵比寿神を祀っています。寺の門を入って左手には、恵比寿神を祀る小さな祠があり、多くの参拝者が訪れています。毎年10月16日に行われる御会式では、万灯や纏太鼓を持った人々が集まり、法蓮寺は大いに賑わいます。
法蓮寺は、豪族荏原氏の館があった場所に建立されたと伝えられています。『江戸名所図会』に描かれた「中延八幡宮」には、荏原氏がこの地に館を構えていたことが記されています。館内には、先祖から受け継がれた八幡神の神像が祀られていたとされています。この八幡神社は、神仏習合の時代に法蓮寺とともに創建され、特に源氏との縁が深い神社として知られていました。
中延地区は源氏との関係が特に深く、近年まで「源氏前」という地名が存在していました。この名残は、現在も小学校の名称として残されています。法蓮寺は、このような源氏ゆかりの地であることから、多くの歴史愛好家や参拝者に親しまれています。
法蓮寺は第二次世界大戦の戦災により、多くの建造物が焼失しましたが、戦後に再建されています。現在、境内には本堂や恵比寿堂があり、静かな環境の中で歴史を感じることができます。
本堂には、木彫の座像で高さ46センチメートルのお祖師様の像が祀られており、その詳細な年代は不明ですが、室町時代の「僧形八幡大菩薩」の座像も残されています。また、境内には法蓮寺を開山した朗慶上人の墓碑があり、歴史的な価値を持つ遺物が多く存在しています。
法蓮寺の中通り墓地には、元禄12年に建立されたお姫様の石塔があり、碑面には「幻寿院殿日空妙秋大童女」と刻まれています。これは、徳川幕府の老中を務めた牧野家に縁のあるお姫様と考えられています。さらに、法蓮寺の上の墓地には「咳の神様」として知られる岡田播磨藤原道孝の石碑があり、多くの参拝者が訪れています。
法蓮寺の入口近くには、第四十四世住職であった日晋(詮妙)上人が詠んだ漢詩が刻まれた石碑があります。この漢詩は、徴兵制第一号の犠牲者を弔ったものであり、寺の歴史的背景を感じさせるものです。
法蓮寺は、東急大井町線・荏原町駅から徒歩1分の場所に位置し、非常にアクセスが便利です。拝観は無料で、地元の方々や観光客にも親しまれています。歴史ある寺院を訪れ、その由緒を感じることができる場所として、多くの人々が足を運びます。