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薭田神社

(ひえた じんじゃ)

薭田神社は、東京都大田区蒲田に位置する由緒ある神社です。社格は旧郷社であり、延喜式内社の薭田神社の論社の一つとされています。その歴史は深く、地域の信仰の中心として古くから人々に崇められてきました。

祭神

薭田神社には以下の神々が祭られています:

さらに、伏見稲荷大社を総本社とする全国三万余社に祀られる稲荷大神(宇迦之御魂大神)も祭られています。稲荷大神は元々、農業の神として信仰されていましたが、農地が主な財産であった時代には財産の守護神としても崇められ、現在では商売繁盛の神として広く信仰を集めています。

社殿と大銀杏

薭田神社の社殿は、昭和二十二年の戦災にも耐え、蒲田における数少ない建物として残りました。特に、境内にある銀杏の大木は、「満願火伏稲荷大神」として火災予防の守り神と称えられ、地域の人々に守られてきました。

神社の歴史

薭田神社の創建は709年(和銅2年)とされ、行基によって建立されたと言われています。この神社は延喜式にも記載されている古社であり、元々は「蒲田神社」として知られていました。しかし、「蒲」の古字が「草冠に補」であったことから、「薭」に書き間違えられ、その後「ひえたじんじゃ」という読みが定着しました。

古代からの信仰の場

神社の創祀は不詳ですが、境内に小円墳があったことや、伝説や史実などから、非常に古くからこの地が聖地として村人の信仰の場であったことが推測されます。この地は多摩川の河口に位置し、水の便が良く、交通の要衝としても重要な場所でした。そのため、都からの文化の伝播も早く、関東における文化の先進地であったと考えられます。縄文時代からの原始信仰と共に形成された斎場が、時代とともに変遷し、現在の神社の姿に至ったとされています。

新宿分村と春日像

蒲田村が新宿分村にあたり、薭田神社から行基作の神体三座のうち春日像一体を分かち祀ったところ、霊験あらたかであったと伝えられています。新宿分村は慶長時代のこととされていますが、一説には平安末期か鎌倉初期ともいわれ、決定的な資料は残されていません。しかし、諸般の事情を踏まえ、慶長五年を新宿分村、当社御鎮座の年とし、平成十二年には御鎮座四百年祭が執り行われました。

明治維新と神仏分離

明治維新に伴う神仏分離によって、薭田神社に祀られていた春日の像は別当妙安寺に移されましたが、戦災によって焼失してしまいました。昭和二十年四月十五日には、戦災によって社殿も灰燼に帰しましたが、戦後すぐに再建の機運が高まりました。

戦後の再建と現在の姿

昭和二十四年八月、新宿八幡神社を「蒲田八幡神社」と改め、氏子崇敬者の奉賛によって社殿が竣工しました。そして、昭和三十三年八月八日には御社殿復興遷宮祭が執り行われました。それから六十年が経ち、御社殿の改修工事が行われ、現在の壮麗な社殿へと新築されました。平成三十年八月三日から五日にかけて、御社殿復興六十周年記念例大祭が斎行されました。

文化財

薭田神社には大田区指定文化財として以下のものがあります:

所在地と兼務社

所在地:東京都大田区蒲田3-2-10

薭田神社は、以下の神社を兼務しています:

Information

名称
薭田神社
(ひえた じんじゃ)

品川・蒲田

東京都