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養玉院

(ようぎょくいん)

養玉院(ようぎょくいん)について

養玉院は、東京都品川区西大井にある天台宗の寺院で、山号は帰命山、本尊は釈迦如来です。かつては上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が1926年に合併して成立しました。正式名称は「帰命山養玉院如来寺(きみょうざんようぎょくいんにょらいじ)」ですが、一般的には「養玉院」として知られています。また、「養玉院如来寺」や「如来寺」とも呼ばれることがあります。

五智如来堂の瑞應殿(ずいおうでん)

瑞應殿には五智如来像(大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来)が安置されています。五智如来は密教の主尊である大日如来が持つ5種の智慧を象徴しており、5体とも像高約3メートルです。「大井の大佛(おおいのおおぼとけ)」として親しまれていますが、薬師如来像以外は享保10年(1725年)と延享2年(1745年)の火災で焼失し、その後再興されました。

歴史

養玉院と如来寺は元々それぞれ別の地域にあった寺院でしたが、1926年に合併して現在の形となりました。

養玉院

養玉院は、もともと「金光山養玉院大覚寺」と号していました。前身は平安時代に創建された三藐院(さんみゃくいん)であり、江戸城築城に伴い下谷村忍岡(現在の台東区上野公園)に移転しました。徳川家三代に仕えた天海によって、寛永3年(1626年)に寛永寺山内に寺地を拝領し、「三明院」と改称されました。その後、対馬の宗家の菩提寺となり、寛文3年(1663年)に対馬府中藩2代藩主宗義成の正室の院号を取って「養玉院」と改称しました。1922年に大井に移転し、1926年に如来寺と合併しました。

如来寺

如来寺は「帰命山仏性院如来寺」と号し、元々は芝高輪にありました。寛永13年(1636年)に木喰但唱によって開創され、但唱が造立した五智如来像が安置されて「高輪の大仏」として知られていました。1908年に現在地に移転し、1926年に養玉院と合併しました。

境内の見どころ

無量光殿と阿弥陀堂

無量光殿の屋上には阿弥陀堂があり、昭和56年(1981年)に当山開創350年の記念として建立されました。ここには、養玉院創立当初の本尊である阿弥陀如来が安置されています。木造阿弥陀如来立像は平安時代末期の作で、品川区有形文化財(彫刻5号)に指定されています。

木造五智如来坐像

寛永12年(1635年)の如来寺創立と同時に木喰但唱が造立したもので、「おおぼとけ」の通称で知られています。薬師如来を除いて火災で焼失し、その後延享3年(1746年)頃に再興されました。中尊の大日如来は像高3.21メートルと非常に大きく、見応えがあります。

如来堂

如来堂は宝暦10年(1760年)に建立されました。当初は寛永年間に如来寺の本堂として建立されましたが、明治末の移転の際に縮小されました。『江戸名所図絵』巻一には、当時の堂の様子が描かれています。

本堂

本堂は寛永5年(1628年)頃に建立され、養玉院の本堂として使用されていました。大正12年に下谷坂本から移築され、元々は瓦葺でしたが現在は銅板葺に改められています。昭和62年度に再度葺替えが行われました。

山門と他の施設

山門は平成元年に落慶し、明王堂は平成10年に新築されました。また、本堂外陣は大正15年に上野下谷より移築されています。萬霊塔は大正12年に落慶し、平成19年に改装されました。

宗家墓所

宗家墓所には対馬藩の藩主である宗対馬守が祀られています。宗氏は、中世から近世にかけて対馬国を支配した氏族で、秦氏の末裔である惟宗氏の支族です。室町時代中期以降は、平知盛を祖とする桓武平氏を名乗るようになりました。

植村家墓所

植村家墓所には高取藩の第13代藩主・植村家保が祀られています。家保は天保8年(1837年)に生まれ、嘉永6年(1853年)に第12代藩主・植村家興の養子となり家督を継ぎました。

境内の仏像と彫刻

仁王像(金剛力士)

仁王像は仏教の護法善神である金剛力士(こんごうりきし)を表し、サンスクリットではVajradhara(ヴァジュラダラ)と呼ばれます。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体で構成され、寺院の表門などに安置されます。威厳ある姿の中に優しさも感じられる点が特徴です。

龍神観音

龍神観音は、救いを求める相手によって様々な姿に変化し、人々の苦しみを取り除き幸運をもたらす観音様です。観音菩薩が龍神に乗り、人々に希望と御利益をもたらす姿が描かれています。観音様が龍神に乗り、無尽蔵の水を湧き出させる姿は、慈愛と美しさに満ちています。

座聖観音

座聖観音は『正観音』とも呼ばれ、六観音の一尊でもあります。1面2臂の像であり、大慈の観音として知られています。かつては「正法妙如来」としての姿を持ち、人間界に近い菩薩の姿で人々を救済します。

布袋尊

布袋尊は、唐末の明州に実在したとされる伝説的な仏僧であり、日本では七福神の一柱として信仰されています。布袋尊は大きな袋を背負い、太鼓腹の僧侶の姿で描かれ、寛容であることを象徴しています。

その他の施設

無外流

無外流は延宝8年(1680年)に辻月丹によって開かれた剣術の流派です。流祖の辻月丹は高槻藩士であり、養玉院では木剣を使って剣術の稽古が行われています。

土曜坐禅会

養玉院では、毎週土曜日の朝に「土曜坐禅会」が開かれています。この坐禅会は養玉院住職が先導し、寺の静かな雰囲気の中で行われます。

Information

名称
養玉院
(ようぎょくいん)

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