羽田神社は、東京都大田区に位置する祇園信仰の神社で、かつては隣接する自性院の鎮守社として存在していました。旧称は「八雲神社」や「牛頭天王社」と呼ばれ、現在の本羽田・羽田・羽田旭町を中心とした旧羽田村・羽田猟師町の鎮守神社として信仰されてきました。
羽田神社の創建は戦国時代に遡り、蒲田・六郷・羽田・大師河原一帯を支配していた領主、行方与次郎が牛頭天王を祀ったことが起源です。牛頭天王社として長らく信仰を集めていましたが、明治時代の神仏分離政策によって須佐之男尊と稲田姫命を祀る「八雲神社」として独立しました。
1861年(文久元年)、疱瘡(天然痘)が蔓延した際、将軍徳川家定が病気平癒を祈願して参拝し、その後病気が治癒したと伝えられ、病気平癒の神として広く信仰されるようになりました。徳川氏だけでなく、島津氏や藤堂氏などからも篤く崇敬されました。
1871年7月1日(明治4年)、太政官布告により羽田村・羽田猟師町の村社となり、地域の守護神としての地位を確立しました。さらに1907年(明治40年)、羽田村が町制施行により羽田町となったことで神社の名称も「羽田神社」に改称されました。
第二次世界大戦後、1945年から1948年にかけて連合国軍の占領下で東京飛行場(現在の羽田空港)の拡張が行われた際、羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の村社であった「穴守稲荷神社」が羽田神社に合祀されました。その後、穴守稲荷神社は羽田5丁目に再建され、さらに鈴納稲荷神社が羽田神社境内へ、玉川弁財天が羽田水神社境内へと移転されました。
羽田神社の氏子地域は、かつての羽田村・羽田猟師町にあたる現在の大田区本羽田、羽田、羽田旭町が含まれます。地域の人々にとって、羽田神社は今も重要な信仰の中心となっています。
羽田神社は、糀谷・羽田地域を中心に広く兼務神社を持っています。以下の神社が羽田神社によって兼務されています。
羽田神社の境内には、以下の神社が祀られています。
自性院(じしょういん)は、東京都大田区にある真言宗智山派の寺院で、平安時代末期に慈性によって開山されました。かつては、羽田神社(旧称「八雲神社」)の元鎮守社であり、明治時代の神仏分離政策までは牛頭天王社として祀られていました。
自性院は、慈性により平安時代末期に開山され、後に恵麻によって中興されました。境内には牛頭天王社が祀られていましたが、神仏分離によって羽田神社として独立しました。境内には「牛頭天王堂」があり、これは羽田神社の名残ではなく、1929年に三輪厳島神社から移築されたものです。