鹿嶋神社は、東京都品川区大井に鎮座する歴史ある神社です。『新編武蔵風土記稿』には「鹿島社(かしましゃ)」と記され、『江戸名所図会』では「鹿島大明神社(かしまだいみょうじんじゃ)」として紹介されています。また、地元では「大井鹿嶋神社」とも呼ばれ親しまれています。
鹿嶋神社では、武甕槌神(たけみかづちのかみ)が祀られています。武甕槌神は、勇猛果敢な武神として知られ、戦勝や武運を祈る多くの信仰を集めています。
鹿嶋神社の起源は、安和2年(969年)9月19日に遡ります。当時、武蔵国荏原郡大井村字関ヶ原(現在の東大井6丁目)にあった常行三昧寺の住職であった尊栄法印が、常陸国鹿島神宮から武甕槌神の分霊を勧請したことに始まります。同日に、別当寺として来迎院が建立され、慈覚大師(794年 - 864年)作の薬師如来像が安置されました。
その後、江戸時代の1653年(承応2年)に常行三昧寺は大井から現在の南品川に移転しました。1868年(明治元年)の神仏分離令を受け、鹿嶋神社は来迎院と同一敷地内で分離され、大井村の村社および総鎮守として位置づけられました。来迎院は通称「お茶屋寺」とも呼ばれています。
1875年(明治8年)5月15日には、同敷地内に簡易普通小学校が開校され、後に移転して品川区立大井第一小学校と改称されました。
鹿嶋神社では古くから祭礼として相撲が奉納されており、渋谷氷川神社、世田谷八幡宮と共に「江戸郊外の三大相撲」として名を馳せていました。現在の社殿は1931年(昭和6年)に竣工したもので、旧社殿は1862年(文久2年)に建てられ、精巧な鎌倉彫の彫刻が施されています。この旧社殿は境内の末社として移設され、今もその姿を保っています。
1988年(昭和63年)、鹿嶋神社は「しながわ百景」に認定されました。
鹿嶋神社の境内には、以下の神々を祀る社が並んでいます。
水神社(すいじんしゃ)は、東京都品川区南大井に鎮座し、水葉乃女命(みずはのめのみこと)を祀る神社です。武蔵野台地の末端に位置し、湧水が豊富だったこの地で、1685年(貞享2年)、村民たちによって水神(九頭龍権現)が祀られたのが始まりです。願主は桜井伊兵衛と大野忠左衛門でした。明治時代までは、日照りになると村人が集まり、雨乞いを行っていたと伝えられています。
湧水は「柳の清水」と呼ばれ、歯痛を止める効能もあると信じられていました。明治時代になると、祭神は水葉乃女命に変更されました。また、この神社にちなんで地域は「大井水神町」と呼ばれていましたが、1963年に町名変更が行われました。1975年(昭和50年)頃までは自然湧水が見られましたが、現在ではポンプで水を汲み上げています。
水神社は1978年(昭和53年)に品川区指定史跡に、1988年(昭和63年)に「しながわ百景(大井の水神社)」に認定されています。