本行寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の寺院で、山号を長崇山とします。池上本門寺の子院の一つであり、池上三院家の筆頭として「大坊」とも称されます。本行寺は、日蓮が入滅した池上宗仲の館跡に位置し、その歴史的背景と宗教的な重要性で知られています。
本行寺の境内は、1282年(弘安5年)に日蓮が常陸国へ湯治に向かう途中、池上宗仲の館に滞在し、同年10月13日に病没した場所です。日蓮の遺骨は、遺言により久遠寺に納められましたが、その後、この地に本行寺が開創されました。1276年(建治2年)に法華堂としての始まりを迎え、1283年には日朗の弟子である本成院日澄に寄進され、現在の本行寺が誕生しました。
本行寺は、池上三院家の中でも格式が高く、池上法縁五本山の一つとしてその地位を確立しています。歴史的に「大坊」としても称され、江戸時代にはその住職が籠に乗って江戸城に入城することが許されていました。
本行寺には、多くの文化財が保存されています。その中には、東京都指定有形文化財や大田区指定有形文化財も含まれ、歴史的価値が高いものが多くあります。
本行寺には、「お会式桜」と「ひきずり豆腐」という伝承があります。「お会式桜」は、日蓮が入滅した時に庭の桜が時ならぬ花を咲かせたという伝説に基づき、今も現存する桜がその時期に花を咲かせます。また、ひきずり豆腐は、日蓮が池上家に到着した際に宗仲夫妻が差し上げた料理として伝えられています。
本行寺の本堂は、1981年に大改築されました。鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲が日蓮聖人の入滅後に寺を建立し、以来「長崇山 本行寺」と称されています。本尊は一塔両尊四士で、釈迦如来と多宝如来を中心に四菩薩と四天王が配置されています。
「ご臨終の間」は、日蓮が入滅した池上宗仲の邸宅跡に建てられたお堂で、昭和11年に東京都の史跡に指定されました。日蓮が最後の時を過ごしたこの部屋には、彼が寄りかかった柱や自刻した像が奉安されています。
鶴林殿は、池上宗仲の700遠忌記念事業として建立され、法要や葬儀、仏前結婚式などに使用される多目的施設です。その名は、お釈迦様の涅槃が鶴のように見えたという故事に由来します。
樹林墓地「そせい」は、後継者がいない方でも納骨できる永代供養墓です。墓石の代わりに樹木や花を墓標とする自然環境と共生した供養法が取り入れられています。
本行寺には、歴史的に著名な人物の墓が多くあります。以下はその代表例です。