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光明寺(宝幢院)

(こうみょうじ ほうどういん)

光明寺は、東京都大田区鵜の木にある浄土宗の寺院です。歴史的な背景を持つこの寺院は、行基によって天平年間(729年~749年)に開山され、その後、弘法大師空海によって再興された経緯があります。一時は「関東高野山」として知られていましたが、後に浄土宗へと転宗するなど、波乱に富んだ歴史を歩んできました。

光明寺の歴史

光明寺は、行基が天平年間に開山し、弘法大師空海が弘仁年間(810年~824年)に再興した真言宗の寺院でした。当時、「関東高野山」という異名がつけられるほど、地域において重要な役割を果たしていました。しかし、時代が進むにつれて浄土宗へと転じることになります。

浄土宗への転宗

寛喜年間(1229年~1232年)に、光明寺は浄土宗へ転宗しました。この時、当寺の住職であった行観は、弘法大師の寺が浄土宗に転じてしまうことを惜しみ、別に一寺を設けて隠棲することを決意します。その寺が現在の「宝幢院」です。行観は、真言宗を守るために、二世以降の住職を真言宗の僧侶に譲り、光明寺と宝幢院はそれぞれ浄土宗と真言宗という別の宗派を歩むこととなりました。

浄土宗鎮西派への転属

1239年(延応元年)、光明寺は浄土宗西山派から浄土宗鎮西派へと転属します。これにより、寺院としての性格がさらに浄土宗に染まっていくことになりますが、その歴史と伝統は今なお残っています。

交通アクセス

光明寺へのアクセスは、東急多摩川線の下丸子駅から徒歩5分の距離にあります。便利な立地にあるため、都内からも気軽に訪れることができます。

宝幢院について

宝幢院は、東京都大田区西六郷にある真言宗智山派の寺院で、光明寺と深い関係を持つ寺院です。行観によって開山され、その後も真言宗の寺院として続いています。

宝幢院の歴史

宝幢院は平安時代末期に、光明寺の住職だった行観によって開山されました。行観は、真言宗の大本山である醍醐寺塔頭光台院の出身で、真言宗に深い信仰を持っていました。行観は、浄土宗に転宗した光明寺に代わり、真言宗の精神を守るためにこの宝幢院を設立しました。

『新編武蔵風土記稿』における記述

江戸時代の歴史書である『新編武蔵風土記稿』には、鎌倉時代に行観が光明寺を開山し、その後宝幢院を設けて隠棲したと記されています。このような経緯から、光明寺と宝幢院は密接な関係を持ち、同じ院号・寺号を共有することとなりました。

交通アクセス

宝幢院へのアクセスは、京急本線の雑色駅から徒歩12分の距離にあります。少し距離がありますが、参拝者は静かな環境の中で寺院を訪れることができます。

Information

名称
光明寺(宝幢院)
(こうみょうじ ほうどういん)

品川・蒲田

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