旗岡八幡神社、または旗ヶ岡八幡神社は、東京都品川区旗の台にある神社です。神社の歴史は長く、地域との結びつきも深く、戦国時代から江戸時代にかけて多くの武家の崇敬を受けてきました。また、神社には貴重な文化財も多数残されています。
旗岡八幡神社の創建は、長元3年(1030年)に遡ります。当時、源頼信が下総国(現在の千葉県)で発生していた平忠常の乱を平定するためにこの地に宿営しました。その際、八幡大神の霊威を感じて戦勝を祈願し、八幡大神を奉りました。源頼信がこの地に陣を張り、源氏の白旗を掲げたことから、この地域は「旗の台」や「旗岡」と呼ばれるようになったと伝えられています。
その後、鎌倉時代に入ると、この地の領主であった荏原義宗(源義家の末裔と言われている)により、神社の社殿が建立されました。義宗は八幡大神を源氏の守護神とし、また地域の鎮守神として崇敬しました。荏原義宗は日蓮宗にも帰依しており、息子を日蓮の高弟である日朗の弟子とさせ、息子は後に朗慶上人として法蓮寺を開山しました。この法蓮寺は旗岡八幡神社の別当寺として長く続き、現在でも隣接しています。
江戸時代になると、旗岡八幡神社は2代将軍・徳川秀忠に祈願所とされ、特に弓術者から篤い信仰を得ました。毎年2月15日には、近郊の武士が集まり、境内で弓術の競射が行われるようになりました。この行事は非常に有名で、試合後には甘酒が振舞われたことから、現在でも2月になると『甘酒祭』が当神社内で行われています。また、江戸時代には『中延八幡宮』とも呼ばれ、『江戸名所図会』にもその名で描かれています。
第二次世界大戦中、旗岡八幡神社の拝殿などの社殿は戦災により焼失しましたが、唯一「絵馬堂」が残りました。現在の社殿は昭和39年(1964年)に再建されたもので、社務所も昭和63年に造営されました。その後、平成26年には「平成の改修事業」として、社殿の耐震補強、屋根銅板の葺替え、外壁の塗替えなどの改修工事が行われ、現在の姿となっています。
旗岡八幡神社に現存する唯一の戦前の建造物である絵馬堂は、昭和3年(1928年)に造営されました。完成時には参道の北側にありましたが、旧社殿が昭和20年5月の空襲で焼失したため、終戦直後に曳家され、昭和37年まで仮社殿の役割を果たしていました。その後、現社殿の造営着手に伴い現在地に再び曳家され、現在に至っています。絵馬堂は戦災を逃れた昭和初期の貴重な神社建築として、平成25年に国の登録有形文化財として登録されました。
旗岡八幡神社には、江戸時代に奉納された絵馬も多く残されています。特に「猿駒止の絵馬」は品川区の文化財に指定されており、神馬を引き止める猿が描かれた大絵馬(1864年制作)は、横幅1.78m、高さ1.32mの大きさで、保存状態も非常に良好です。この大絵馬は現在、社務所の2階に展示されています。
旗岡八幡神社の例大祭は毎年9月の第2土曜日と日曜日に行われます(年度によっては変更の可能性あり)。両日とも神楽殿では里神楽が奉奏され、百軒近い露店が立ち並ぶ境内には多くの参拝者が訪れます。また、日曜日の午前には勇壮な神社神輿の渡御が行われ、地域を活気づけます。
旗岡八幡神社の氏子地域は、品川区の旗の台一丁目から六丁目、中延一丁目から六丁目、東中延一丁目から三丁目、荏原六丁目、戸越五丁目および六丁目、豊町六丁目、西大井六丁目、二葉四丁目など広範囲にわたります。
旗岡八幡神社へのアクセスは、東急大井町線・荏原町駅より徒歩2分です。拝観は無料で、境内は誰でも自由に訪れることができます。隣接する法蓮寺も一緒に訪れると、地域の歴史をより深く感じることができるでしょう。
旗岡八幡神社は、平忠常の乱を平定するために源頼信が戦勝祈願を行ったことに始まり、長い歴史を経て現在に至っています。戦災や時代の変遷を乗り越えながらも、多くの信仰を集め、地域の守り神として人々に愛され続けています。境内には貴重な文化財も多く、訪れる人々に歴史の息吹を感じさせる神社です。