洗足池は、東京都大田区南千束に位置する池であり、洗足池公園の中心となっています。東京都指定名勝として、その歴史的価値や美しい景観から多くの人々に親しまれています。
洗足池は、周囲を閑静な住宅街に囲まれた静かな環境にあります。園内には水生植物園や厳島神社が鎮座する弁天島、そして美しい桜が群生する「桜広場」など、訪れる人々を魅了する多くの見どころがあります。春には桜が咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。
洗足池は湧水池であり、周囲の地下水が主な水源です。かつては、近隣の農家が作物を洗うために使用していた多くの湧水が、用水路を通じて池に流れ込んでいました。池の主要な水源として、4つの湧水が存在していたとされていますが、現在は清水窪弁財天(大田区北千束)からの湧水が残っています。この湧水は、今も豊富な水量を誇り、洗足池へと流れ続けています。
洗足池を出た水は「洗足流れ」として呑川へと合流します。かつては農業用水として利用されていましたが、現在では地域住民の憩いの場として親しまれています。
洗足池の名前は、この地域の古い地名である「千束」(せんぞく)に由来します。平安時代末期の文献にも登場するこの地名は、仏教用語の「千僧供料」(せんそうくりょう)に由来する説や、池の水を用いて灌漑に利用されたことから稲千束分の税が免除されていたとする説などがあります。また、日蓮がこの池で足を洗ったという伝説から、一部が「洗足」と呼ばれるようになったと言われています。
日蓮が袈裟をかけたとされる「袈裟掛けの松」も、現在では3代目として残されています。また、池の北側の中島には弁才天が祀られており、地域の信仰の対象となっています。
洗足池の西側に鎮座する千束八幡神社は、860年に千束郷の総鎮守として建立されました。平将門の乱や後三年の役においても、戦勝を祈願したと伝えられています。特に、源頼朝が安房国から鎌倉へ向かう途中に池月という名馬を捕らえた伝説が残されており、神社の境内にはその池月の像が奉納されています。
かつて洗足池のほとりには、勝海舟の晩年の邸宅「洗足軒」がありましたが、戦災で焼失しました。現在は勝海舟夫妻の墓が残されており、大田区の文化財に指定されています。また、池のそばには「西郷隆盛留魂碑」が建てられており、西南戦争で倒れた西郷隆盛を偲んで建てられたものです。
1937年には、徳富蘇峰が勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城の偉業を称える詩碑が建立されました。これもまた、洗足池の歴史的価値を象徴するものとして多くの人々に知られています。
洗足池を含む一帯は、大田区立洗足池公園として整備されています。公園内には、木製の池月橋やボート乗り場、水生植物園など、自然と調和した施設が点在しています。特に、池月橋では「春宵の響」と呼ばれる和楽器の演奏会が行われるなど、文化的なイベントも開催されています。
洗足池公園は、都内でも有数の桜の名所として知られており、春には多くの花見客で賑わいます。公園内の桜広場や桜川は、桜の季節には美しい景色を楽しむことができるスポットです。
また、公園内ではバリアフリー化が進められており、誰もが安心して訪れることができる環境が整備されています。
洗足池の南東には、「洗足小池」と呼ばれるもう一つの池があります。この池もまた、公園として整備されており、地域住民に親しまれています。これに対して、洗足池は「大池」とも呼ばれています。
洗足池へのアクセスは、以下の通りです。