概要
劇場の歴史と役割
明治座は、明治時代から続く東京の代表的な劇場の一つであり、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などと並んで、多くの人々に親しまれてきました。戦前から昭和初期にかけては、歌舞伎や新派の殿堂として広く知られ、大正時代には一時的に野球部を保有していたこともあります。
戦後になると、明治座は時代劇や演歌歌手による座長公演を中心にした興行を行うようになり、年配層に支持される公演が主流となりました。2000年代以降は、テレビ局と提携した現代劇や、ミュージカル形式の公演など、観客の世代を引き下げる試みも行われるようになりました。
劇場設備とアート展示
明治座は、最新の舞台設備を備え、宙乗り装置も常設されています。各階のロビーには、多くの絵画が展示されており、美術館のような雰囲気が漂います。また、福岡市博多区にある博多座での年1回の公演や、外食産業も展開するなど、多岐にわたる事業を展開しています。
独特の公演方式
明治座では、他の劇場とは異なる公演方式が採用されています。30分程度の幕間(休憩時間)を1~2回挟む形式で、公演中に観客が劇場内の食堂や喫茶コーナーを利用できるようになっています。食堂の利用には事前予約が必要な場合もあります。また、ロビーには売店が多数あり、公演にちなんだ土産品や雑貨を購入することができます。オペラグラスの貸出サービスも行っており、保証料を支払うことで高機能なカブキグラスも利用可能です。
歴史
明治座の創設と発展
明治座の前身は、江戸時代末期に両国に存在した富田三兄弟による菰張芝居(こもを巡らしただけの芝居小屋)です。1873年(明治6年)には、両国橋畔での興行禁止令に伴い、久松町に移転し、喜昇座(きしょうざ)として創設されました。その後、明治座は焼失と再建を繰り返しつつ、久松座(ひさまつざ)、千歳座(ちとせざ)など、名称を変えながら成長しました。1893年(明治26年)に初代市川左團次が千歳座を買収し、明治座と改称して現在に至ります。
戦後の復興と再建
1945年(昭和20年)の東京大空襲で明治座は焼失しましたが、地元有志の尽力により1947年(昭和22年)に復興期成会が組織され、1949年(昭和24年)には株式会社明治座が設立されました。1950年(昭和25年)11月30日には、総工費一億三千万円をかけた再建が完了し、初日の演目として壽式三番叟が上演されました。
度重なる再建と発展
1956年(昭和31年)、社長の新田が急逝した後、三田政吉が代表取締役専務に就任し、同年に発生した漏電火災で再び焼失した明治座の再建に尽力しました。その後、三田政吉は社長や会長を務め、明治座の発展に寄与しました。1993年には浜町センタービル内に新たな明治座が開場し、バリアフリー化が進められました。
沿革
明治座の歴史の歩み
明治座は1873年(明治6年)の開場以来、130年以上の歴史を誇ります。以下に、明治座の主要な出来事を時系列でまとめました。
- 1850年頃 - 西両国広小路にて三人兄弟による芝居「喜昇座」として始まる。
- 1873年(明治6年) - 日本橋久松町に喜昇座が開場し、東京十座の一つとなる。
- 1893年(明治26年) - 初代市川左團次が千歳座を買収し、明治座と改称。
- 1945年(昭和20年) - 東京大空襲で焼失。
- 1950年(昭和25年) - 株式会社明治座設立。再建。
- 1957年(昭和32年) - 漏電火災により再び焼失。
- 1993年(平成5年) - 浜町センタービル内に新明治座が開場。
- 2019年(平成31年) - 明治座創業145年を記念し、デジタルテクノロジーを使用した新しい緞帳を公開。
- 2023年(令和5年) - 明治座150年記念公演を開催。
明治座は、時代の移り変わりに対応しながら、常に新しい挑戦を続けています。今後もその歴史と伝統を守りつつ、より多くの人々に愛される劇場であり続けることでしょう。